大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

芸歴五〇周年  「ほんとうはぼくは『病気』で逃げこんでいいような気もするんですよね」

『ザ・ノンフィクション』、三遊亭円丈。自他のつくった新作落語を覚えられない。老い。「円丈 VS 老い〜あがく新作落語家〜」
落語ファンならば、円丈師がやや壊れてきていること、ほかにも壊れつつある真打がたくさんいること周知だけれども、テレビ的には、おどろき。
弟子に教えるところは流石。「もっと落ち着いてしゃべれよ」


「昔は違いましたね。割ると、卵がファイティングポーズをとった。『なんだこの野郎やるのかてめえ!』……昔の卵はハングリーだった」


若いころの映像を観ても、立て板に水というひとではない。テンションと事件性で転がしていく。
いまもそのテンションや事件性、なまなましさは変わらない。だから落語の名人というのではないが高座にライブ感がある。
けれど。円丈師がみせたいのはことばに詰まるところではない。
「五年経ったら五年経ったぶんだけ落ちてるだろう。……落ちてはいるけど少し戻ることもあるんだ」


「どうやったら普通にできるようになるのか」と円丈。基礎体力づくりや稽古。それを指したりまた高座という特別な場を指しているふうな「普通」。芸の世界のこの「普通」の二重性。
『いきなりステーキ』で300g肉を食べる。まんが喫茶で稽古する。


「『敢えて』じゃないっつうの。新作落語家っていうのはネタをつくりつづけるから新作落語家なんだよ!」


高座でタブレットを手に、円丈落語はつづく。