大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

《人は獣に及ばず》

知識人99人の死に方 (角川文庫)
荒俣宏監修、『知識人99人の死に方 (角川文庫)』。特に紙幅を割かれているのは手塚治虫有吉佐和子永井荷風澁澤龍彦森茉莉三島由紀夫稲垣足穂今西錦司石川淳寺山修司深沢七郎折口信夫
この辺りはたとえば有吉佐和子について関川夏央が、稲垣足穂について都築響一が記している。
こういう、著者性の複雑なものはなかなか電子書籍にならないわけで、紙には紙の価値がある。

社交家の万太郎の死は、やはり社交の席で訪れた。画家の梅原龍三郎邸で行なわれた美食会で、勧められるままに、万太郎は赤貝のすしを口にした。生来貝類は嫌っていたが、持ち前の人をそらさぬ社交性で無理に喉を通した。ところが赤貝は容易に喉を通過せず、万太郎は吐き気を催した。ここで吐いては来客が不快、とばかりに飲み込んだものの、一片の貝は気管に詰まり、万太郎は昏倒した。病因がわからぬまま慶應病院に運ばれ切開手術が行なわれたが、すでに呼吸は止まっていた。
後で「誤嚥下物気管閉塞による窒息死」という診断名が発表されたが、文壇史上ではまぎれもなく奇死である。いかにも見栄っぱりな江戸っ子らしい死に方と言えるだろうか。


男子同性愛的なエピソードによって、いまも手許にある。
今西錦司(文・武田徹)、

本田靖春の『評伝 今西錦司』(山と渓谷社)を読んで、「おや」と思ったことがある。
今西の生涯を通じた友人のひとりに、のちの南極越冬隊隊長を務めた西堀栄三郎がいた。京都一中で同級生となり京大にともに進んだ西堀は今西の妹、美保子と結婚したため今西とは義兄弟の関係でもあった。ともに故人となった二人の仲を本田は美保子から取材して聞き出そうとする。ニュアンスを伝えたいのでその箇所を原文のまま引用しよう。

結婚してからも、西堀に聞いたことがあるんですよ。あなた今西の兄と私とどっちが好きなの、って──
西堀は答えなかったが、その没後、美保子は書き物を整理していて、悟るところがあった。美保子はそれがいかなるものであったかについては口を閉ざしたが、今西と西堀は、その妹であり妻である美保子にもうかがい知れない深さで結ばれていたということになる。

多くを語らない文章が、多くを語れない事情の存在をかえって印象づけてしまう。遺品を整理していて美保子は恋文を見つけ、二人の同性愛傾向を知った。この文章は、そうとしか読めない。

ひとは、男子二人の同性愛的親密さのまえで腐女子になる。そこに恋情があり、性交をおもいえがくわけだ。
けれどそこまではっきりがっつりとかたちがあるとはかぎらない。ひとはしぬまでゆらぐもの。
深沢七郎もふくざつだ。
深沢七郎のまわりにはヒグマやヤギと呼ばれたおとこたちがいた。(文・末藤浩一郎)

むくんだ脚はヤギが毎晩マッサージした。医学的に見るとマッサージは何の効果もない。だが、ヤギは冷たくなった老人の足に、自分の温かい手がいいのだと信じて疑わなかった。
そして最後の夏がやって来た。
8月17日、夜。
「そばで寝てほしい」
深沢はひとりでは眠れなくなっていた。ヤギは深沢と同じベッドで寝そべって仮眠をとった。

ミスターヤギは現在49歳である。そして、今もひとりラブミー農場を守り続けている。入口には小さな「深沢」の表札。きれいに草むしりをされた畑。車庫には乗用車とトラクターが見える。ヤギは深沢の遺志を継いだのか、命日であろうと人寄せをするでもなく、普段どおりの暮らしを続ける。「そういうの全部断っているから」とすねた子供のような顔をして言った。
それでも結局は深沢の話になってしまう。「深沢は欲望の大きい人だった。欲望が大きすぎてぼくには応えられなかった」
「ぼくと深沢に恋愛感情があったかって? そりゃマッサージはしてましたよ。太腿とか内股とか……。チンポもときにはマッサージしましたよ。でも、マッサージをしないと脚が腫れてパンパンに硬くなってしまうんです。そのときの状況を見た人ならわかりますよ。恋愛なんて絶対に言えないですよ。そんななまやさしいものじゃないですよ。ぼくが知りあったとき、深沢はもう病人だったんです。病人をひとりでほっとくわけにはいかないじゃないですか。しかたがないからめんどうをみていただけです」