大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈愛憎は動物としての人間の心に眠る非常に原始的な強烈な感情である。どんなに押えようとしても、その爆発は押えられない〉

われら動物みな兄弟 (角川文庫 緑 319-2) 畑正憲われら動物みな兄弟 (角川文庫 緑 319-2)』。〈数年前、歌麿の展覧会をみたが、なかに子供に乳をふくませる母親の絵があった。その豊かな乳房のみずみずしい美しさは、百年の歳月を乗り越えて、観る者に迫ってきた。そこには、なま半可な科学はない。あるのは、人と人、ただそれだけである〉
畑正憲は性について貪欲に語る。多作家として下ネタに走ることもあれば自然科学の研究者としてミクロの描写をすることもあるが、タナトスのまえの熱情といったふう。

絶えざる変化と成長のないものには、必ず破局が訪れる。それが生命の法則なのである。だから絶対に、子どもを生まない夫婦になってはいけない。

上の引用の、後半部分をいまどきのリテラシーによって乗り越えていくこともできるだろう。あるいは「変化とは何か?」「破局とは何か?」と問いなおすこともできる。


〈これは私が初めて世に出したエッセイ集である〉


章立ては「動物の性をめぐって」「動物と友人たち」「四季の海」「ネンブツダイを求めて─八丈日記─」と、がんばって一冊にしたけはい。
「四季の海」からカラスのこと。

カラスは、なかなかの紳士。場違いの所では糞をしない。
ヒナから飼うと、狷介な性格は消える。客がきても、挑戦的な態度はとらない。屋外でみるあの気迫にみちた姿は、武器を持たぬ大食漢が、自衛上しぶしぶ身につけたものであろう。独特のけもの臭ささえ我慢すれば、愛すべきペットである。