大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

香川照之「欲望で思い出したけど、蜷川幸雄さんの舞台に出たとき、ダメ出しされて俺、すごく火がついたことあったんだ。ところが、ある役者さんは火がつかなかった。そうしたら蜷川さんがその人に向かって『お前は、欲望の距離が短い』って言った。そのとき『ああ、俺は欲深いんだな』って思った」(巻末。オダギリ ジョーとの対談)

日本魅録
語ることや演じることと、書くことは異なる。ドラマチックな熱に対する方法論のちがい。
キネマ旬報2003年1月から2005年3月までの書籍化。香川照之の文筆『日本魅録』。散文としては肩に力が入り過ぎ。どのようにこなれていくのか。続刊を追う。ひとの成長、停滞を知るにはそれしかない。

俳優にとって「テレビの撮影」とは、あっという間に過ぎ去っていく限られた時間の中での、自分の芝居を必至に考え秒速で実践する極度の集中力が激しく希求される孤独な戦いであり、うかうかしていてはとんでもない所へと連れ去られてしまう魔物のような連続性へのチャレンジなのである。その意味で俳優は、常に「大いなる妥協」の繰り返しを味わされる先鋒へとおとしめられ、労働の実感を失った白兵戦を延々と強いられることもしばしばである。だからあるいは、その悔いを乗り越えていく苦難の旅こそが「テレビの撮影をすること」そのものだとも言えるだろう。
そんな中で、野田秀樹蜷川幸雄に鍛えられた唐沢寿明がリハーサルの日にもう全てのセリフを完璧に入れ完璧に芝居をしてくることは想像に難くなかったが、他のキャストも当たり前のように台本を手放し、完璧にセリフを操る姿は鬼気迫るものがあった。中でももう一人の主役・松嶋菜々子は、ここで私ごときがそれを語るのもはばかられるほどのプロ意識の塊だったと言わざるをえない。

三島由紀夫──ああかつて私は、毒と棘と悪意に満ちた彼の文体を溺愛したのだった! 三島という三島を耽読してきたのだった。そう、三島こそは──私の十代を苛烈に支えた唯一無二の作家だった。観念的で虚弱だった幼少期の自らを呪い、「言葉」の語り手から「肉体」の化身へと力強く移行する美学を禁欲的に貫徹した三島に、当時の私は、勉学を笠に着てじめじめ生きている柔弱な自分自身をずっと投影させてきたのだ。


観たくなった映画。『刑務所の中』『夜叉』『タカダワタル的』。