大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

穂村弘が拾いあげる虚構の二色(いや、三色)

サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16) 微熱少年 (新潮文庫) 岡野大嗣『サイレンと犀 (新鋭短歌シリーズ16)』と松本隆微熱少年 (新潮文庫)』、穂村弘の書評を読む。
週刊文春』2015.4.30の「私の読書日記」では「岡野大嗣のデビュー歌集」について穂村弘

あまりに身も蓋もない「今」の感覚にショックを受ける。


20代女性の胴の2カ月で10㎏減の輪切りの画像


なんという殺伐とした短歌だろう。確かに、雑誌の広告などで、私もそういう「画像」を見たような気がする。でも、こんな風に歌えるとは思わなかった。

白というよりもホワイト的な身のイカの握りが廻っています


「ホワイト的」って……、あの微妙に透き通りつつ発光している感じがまさにそうだ。

週刊文春』2015.6.18では『微熱少年』。

微熱少年』(新潮社 松本隆)を久しぶりに読み返した。作詞家松本隆による書き下ろし長編小説である。書き出しはこうだ。


十六ばんめの夏だった。光は青空に太陽の粒子をちりばめ、影はパレットの上に出した黒い絵の具のように濃かった。


この新鮮さはなんだろう。「影」という自然物が「パレットの上に出した黒い絵の具」という人工物に譬えられているところがポイントか。それによって過剰なほどの瑞々しさが生まれているようだ。


風の中のどんな粒子にも、夏が麻薬の粉のようにふくまれていて、肺の奥に染み込んでくる、そんな感じだった。


同様に「夏」という自然物が「麻薬の粉」という人工物に譬えられている。それによって「夏」の季節感が増幅されているのだ。


月の光が白い砂に反射して、青白い蛍光塗料のような光が彼女の指を照らしていた。


やはり「月の光」という自然物が「蛍光塗料」という人工物に譬えられている。もともと「蛍光塗料」の「蛍光」とは、自然物から取られた名前だろう。ところが、ここでは自然を真似たはずの「蛍光塗料」によって、もう一度自然が譬えられているのだ。
自然と人工の反転、松本隆の世界には、そんな倒錯的な感覚が溢れている。その冒瀆性に違和感を覚える人もいるだろう。でも、私は好きだ。自分たちの世代の先輩という感じがする。