大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈男も女も生きるというのは大変なことなのだ〉  田辺聖子「お茶が熱くてのめません」

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)
観たことないのに映画の印象がつよくて、映画の公開時期にちかい短編集かとおもっていたら単行本1985年。田辺聖子の『ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)』。
ずいぶん昔のようだけど、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』を田辺聖子が書いてから『ジョゼと虎と魚たち』まで20年ほど。題材も技術も熟している。


収録されているのは「お茶が熱くてのめません」「うすうす知ってた」「恋の棺」「それだけのこと」「荷造りはもうすませて」「いけどられて」「ジョゼと虎と魚たち」「男たちはマフィンが嫌い」「雪の降るまで」。
表題作の「ジョゼ」という名は、サガンから。女の恋、というのはサガンだったりコレットだったり。
なにかというとおもいだすのは三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』、オスカー・ワイルドサロメ』。恋い慕うことの深み。そうでありながら女の身ならば一瞬で抜けだせもする。


「恋の棺」のヒロインの名は宇禰。〈好意と冷たい分析とは、宇禰のうちで抵抗なく両立している〉
分析したときに気持ちが終わるわけではない。いつも分析している。では好意はいつ冷めるのだろう。その自問自答をかかえながらの恋は楽しい。

決意を匕首(あいくち)のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった。


「それだけのこと」には、「チキ」という指人形が登場する。ぬいぐるみたちがいきいきとしゃべる『スヌー物語』を連想する。

〈そうだよ、お兄たん。寝りゃいい、というもんとちがうでしょが!〉