大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

ヒトラー暗殺、13分の誤算』観る。オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督。
暗殺のための時限爆弾設置。国境を越えて逃走しようとしたところを逮捕、拘留中に爆発の音を聞く。しかし……。
何度も回想場面を挟んで進む物語は、構成としてはいかにも単純だけれども、拷問、取り調べを受けながら徐徐に口を割る、その都度かれゲオルク・エルザーはこのような人間関係のなかにあったというふうに観客に対しても事情を小出しにしていくためには、とりあえずこの方法以外にないか。爆発が起こるか起こらないかわからないまま人間関係をたどっていくのは小説的なフィクションであろうし、小説はすでにさまざまなかたちで第二次世界大戦を虚構化し爆発させてきたが、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』は映画、それも人物伝だ。ゲオルク・エルザーにフォルムをあたえることが目的だろう。


村が真っ二つに割れている。村というか、男たちだ。国家社会主義ドイツ労働者党と、赤色戦線戦士同盟。ゲオルク・エルザーは赤色戦線と付き合いはあってものめりこんでいるわけではなかった。《自由》だった。音楽が好きで、けっこう軟派に女が好きで。政治よりも宗教をたいせつにしていた。


ナチスはなぜ執拗に自白をもとめたか。それはこんな大それたことには黒幕がいるはずとかんがえたからだった。
しかしどこまで行ってもかれの個人的な回想しかでてこない。人生というのはそういうものだ。そういうものだということが、組織にとっても個人にとっても、かなしい。