大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

せかいやひとを記号的にあつかわず、記号的にふるまうことを笑っている。(少女がカメラを向けると大人たち皆「むかし俳優を目ざしていて」とシェイクスピアの科白を暗唱しはじめるところとか)

M・ナイト・シャマラン監督『ヴィジット』観る。正調の恐怖にはネタバレとなるような秘密がつきもので、『ヴィジット』も要約しづらい。ネタバレ厳禁の作品というのは時を経て語られることを待つものでもあり、五年、十年くらいではビクともしない強度が要る。『ヴィジット』、名作だった。十年たってみんなで語れる日が来ますように。


街の子が田舎の祖父母の家に行く。それだけですでに美しさと怖ろしさ満ちてくる。しかも祖父母と母親は不仲という。その関係を子らはなんとか修復したい。長女は動画を撮る。母の故郷の画。祖父母へのインタビュー。悪ぶる弟は韻踏むラップでいろんなひととつながろうとする。
回されるカメラ。恐怖が起こるばしょ。POV映画としての理由づけが巧い。登場人物それぞれが傷を抱え、成長もある。脚本が抜群。
生きていくには家族のあいだであっても演技しなければならないし、ゆえにだれもが病む。理解者を欲している。理解してもらうための演技もあれば、理解してもらうための本音もあって、なにが正気か狂気かは説明しがたいのがこの世のなかだ。
こころを説明できぬのだから、せめて関係だけははっきりさせなくてはならないわけで、その辺りをきちんと回収して物語にした『ヴィジット』はみごと。