大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「その戦果を誇大に伝えんために、一つの首を二つに断ち割り、四万五千個の首を得たと称して、勝利の酒に酔ったという……」

魔界転生 [DVD]
「おまえが望むなら、わたしがこの世に連れ戻してやろう。もう一度生きてみたくはないか? より強く、より美しい若者として」


「そちのことを想えば、わしの心は尚更にときめく。生涯の好敵手に巡り会ったときのように。今もし、わしに未練ありとせば、そちと一度、心ゆくまで剣を交えたかったという業(ごう)の如き願望であろうか。……ああ、生きたい! われらに相応しい舞台の上で。逆巻く紅蓮の炎の中で、わが子十兵衛と剣を交える……!!」


1981年、『魔界転生』。恐ろしいことに初見。長編小説を読んだ気になることよりも、映画1本横着するの愚は重い。
沢田研二真田広之の美しさに圧倒されつつ、監督・深作欣二のテキパキとデタラメな説得力を理解する。
現実がそうであるように、論理よりも時間が事態を支配する。かんがえる間もなくつぎの部屋へと移動させてしまうこと。深作欣二の映画は、速い。
そして論理を超えているからへいきで混濁できる。そもそも絆というものはそうした不可解のうえに立つのかもしれないが、天草四郎沢田研二)から伊賀の霧丸(真田広之)への同性愛感情のなまなましい非論理性もさることながら、柳生宗矩若山富三郎)、十兵衛(千葉真一)の父子の争闘愛も不可解な熱を帯びている。父が子に《ときめく》のだもの。