大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈非難を浴びたヌードもあれば、芸術として許容されたヌードもあったわけです〉

芸術新潮 2003年6月号
芸術新潮 2003年6月号』「ヴィクトリア朝の闘うヌード」、解説・谷田博幸。

ヴィクトリア朝のロンドンにだって歌舞伎町もあれば新宿二丁目もあったということです。女王自身、大のヌード好きで、アルバート公との結婚当初は、互いの誕生日ごとにヌード絵画をプレゼントしあう習慣だったといわれています。一般の家庭でもヌードの絵でこそないけれど、パリアン・ウェアという、白い素焼きの磁器でできた小さなヌード像を暖炉の上に飾ったりしてたんですよ。

ヌード画家の先駆者として、ウィリアム・エッティ(1787-1849)。弟子のウィリアム・フロスト(1810-77)や、同時代のウィリアム・マルレディ(1786-1863)。