『藤山新太郎プロデュース公演 Magic Meister』行く。内幸町ホール。
休憩15分を挟んでの16時から19時まで。17名が続続登場、持ち時間10分程度。合間にでてきて進行するのは、けいいちけいじ。忙しないが面白いイベントだった。
出演するマジシャンには学生もいる、キャリアを積んだ方もある。
はじめに大貫実(東洋大学マジシャンズソサエティ)「アラカルト」。オーソドックスなステージマジック。学生だもの。これでいい。
つづく松永康男(杉並奇術連盟会長)の「浪曲奇術」。プログラムには「タネ明かしをするマジックに、笑顔が見られる演技ができれば最高です」と。ようするに笑える。そうでなければ、どんなジャンルも心許ない。
端正なところと、おおらかなところが混在していて、観ていて打ッ飛んだ。あ、意外と壊れている──。
アマチュア寄りのマジックというのはもうすこしマジメで拙いものかとおもっていた。ロマンやファンタジーを欠いた堅苦しいものだと。
そうではなさそうだ。
間宮唖樹、「連理の曲」。タイトルのとおり鳥を連想させる菱型の白い紙。整っている。整っているということは、閉じてもいるわけで。どこに風とおしの良さをつくるか。
ノブ。「日本セイロ」。動きにキレがある。バネ。ワイルドな可能性。
高橋正樹「キューピーイリュージョン」。この辺で司会のけいいちけいじがノッてくる。悪ノリといったらいいか。それをさせる高橋正樹のステージにあるオドロキとサービス精神。
藤山初美(野原初美)は「あさが来た」。食パンやジャムを小道具にしたマジック。
前田将太「祈り」。
この3人が、ほかのマジシャンとくらべて特別変わったタネをもつわけではない。しかし夢がある。世界がある。それらを表現しようという意思が。
渡辺優子(明治大学マギーグルッペ奇術研究会)、「ダンシングケーン」。きれいで、まじめ。
ここで休憩。15分。
松丸真理子「虹のように」。女性の手はちいさい。それでもトランプを自在にあやつり、ステージで披露する。華やか。
ユウリ「フラワー・リング」。プログラムに「週に1度稽古をつけて下さっている、村上流の轟夏美先生が、大きなフラワー・リングを作って下さいました。派手でゴージャスで少しだけ昭和の香りもするその道具が、私は大好きになりました。同世代のマジシャンが手を出さない演目だけに、新しい工夫も加えて、現代に通用する手順を作っていければと考えています」
スマイル藤山(望月由紀子)「金魚釣り」。「初めてのトーク和妻に挑戦です。中々上手く喋れませんがお許しください」
酒井義幸、「カラカサ」。マジックをはじめたきっかけは通信講座だという。意欲と、アイデアがある。
リオ広沢「五宝蒸篭」。
藤山郁代(大原郁代)「袖卵・双つ引出し」、袖卵は、袋をウラオモテと何度も返しながらその底からとりだす卵の手妻。シンプルだけれど、ふしぎをかんじる。
藤山新太郎。「五色の砂」。
そうそう、このいかがわしさ。クールに演るまえに、手品は怪しいものだという、確かな認識。
絵具で塗った砂ではないという。あちらこちらからあつめてきた、五色の砂。ナイル川の底の砂は白い。黄河の砂は黄色くて。アマゾン川ですくった砂は緑色。ドナウ川は、青。ガンジス川赤茶色。その口上。なにを言っているのだ。嘘じゃないか。デタラメだ。それが芸というものだ。
道脇康太(早稲田大学マジッククラブ)「○○○○」。
田代茂「オムニバス・マジック」。
「マジックが『大衆演芸』としてもてはやされていた昭和の時代に、私の師匠である、故村上正洋が得意で演じていた演目を集めて1つの手順にまとめました。空中ハトすくいや、ハトの打ち消しの道具は、松旭斎八重子氏より譲り受けたものです。これらの道具は、四十年近く前から、八重子氏・美恵子氏が、村上先生から指導を受けながら、長年舞台で使用されていたものです。轟夏美(元ダーク夏美)氏に稽古をつけて戴き、仕上げました」
おどろいた。なめらかなのはもちろんのこと、昭和が、古くない。生きている。落語だと「江戸の風」と言ったりするけど、手妻や奇術にも風を吹かせ、現前させることができるのだ。
「現前させる」ということと、「現存する」ことのちがい。
ふしぎもあって、笑いもあって。