大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「いいからついてこいよ。新宿二丁目におもしろい店があるんだ。今日は四月四日だろ。特別な日なんだ。三月三日はおひなさまで、五月五日は子供の日だろ。となると、四月四日はオカマの日だ。さっ、行こう」

ロマンス―つかこうへい演劇館 (光文社文庫)
つかこうへいの文章は、ノッてくるほど冗談口ばかりになり臨場感が増す。それで登場人物たちの抱える事件が重いんだか軽いんだかわからなくなることしばしば。それぞれの時間的な思考や傷が霧散してしまうのだ。その変わり身の早さは演劇的で、小説の方法とはやや異なる。
おとこがおんなになったり、おんながおとこになったり、おとこがおとこになったりという演劇的な入れ替えも得意で、舞台で観ればいまも震えることだろう。しかし現実の性はもっともっと混ざってきた。
ロマンス―つかこうへい演劇館 (光文社文庫)』。男同士の恋愛、水泳、競泳パンツ。ベタであり、リアルでもある。


キレイ系のシゲルはバイセクシャル傾向のある異性愛者。おとこと抱き合ったりキスしたりはするけれど、どうもそこまでのようだ。
それに尽くすイモ(つまり、ゲイになりやすくゲイからモテるほう)の牛松は男らしいような、オカマのような二丁目的で昭和な同性愛者。これを等身大と読むか、十年一昔の類型と読むか……。どちらにしても男性性と女性性のだしかた目まぐるしく、仮面をはずさないタイプの同性愛者にちがいない。

懐かしいシゲルは変わっていなかった。詰襟姿のシゲルは、濃い一文字の眉もりりしく、幼い頃と変わらずものうげな表情をしていた。(……)
かつてオレを夢中にさせた、あの、人を見下したような目も、いたずらっぽい八重歯も、少しも変わっていなかった。

おそらくは、ストレートのおとこから見ていやな、女性にウケる男性像がシゲルである。だから客体化できていて、書き手の熱情は牛松に仮託される。甘えるのはシゲルのほうだ。


関係性としては、『蒲田行進曲』によく似ている。まわりを利用するおとこ。孤独を回避したがるやつにずるいもずるくないもない。

「どうするんだ。オレここにいていいのか、いけねえのか」

小説『ロマンス』は悲劇に向かって進んでいく。