大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「理想」と「現実」。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])
シン・ゴジラ音楽集 『シン・ゴジラ』観る。強いて難を挙げれば捨てカットがすくなく、緊張の連続。笑っていいばめんでも観客の顔が硬張ったまま。だから、二度三度観なくてはならないのだろう。物語の謎のためでなく、笑いのために。


監督、庵野秀明。政治的には理想家肌のようだ。決断を迫られるところはコミカルでもあるけれど、この映画における総理大臣は強い総理大臣であり、独断専行型の矢口(長谷川博己)が組織と対立することを主題にしない。抜け目のない赤坂(竹野内豊)もそれほどダーティーにはえがかれない。
その辺りはロマンチストだが、物語を荒唐無稽なまま進行させず、突如生じた荒唐無稽な事件に「現実」的な解決を図る。これは不条理小説や演劇のかんじ。安部公房別役実。なにが起ころうと、とにかく世間にとりかこまれているのだから、常識的な目線とたたかわなければならない。それでひたすらな議論となる。といって“会議は踊る”わけではなくてきちんと進行する。尺の都合もあるが霞ヶ関的によどみなく早口に。
登場人物としては無個性に、しかし雄弁なベテラン俳優の使いかたがかつての角川映画みたいで、贅沢だった。俳優が演じるだけの尺もないというのもリアルを醸成するひとつの方法だ。
こういう映画のなかでカヨコ・アン・パタースン石原さとみ)が一人つくりこみすぎていた気もするけれど、その胡散臭さもまた伝統的な日本映画の奇妙さなのだと言うことも出来、文句のない娯楽作。