大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈父がガンで死にそうな時、看病の合間をぬって、私は彼に抱かれに行った〉

究極のいい女 (角川文庫)
静心 『静心』の文庫化、『究極のいい女 (角川文庫)』。大石静のエッセイ集。

『オードリー』の他にも、『ふたりっ子』の後に私が書いたドラマの中に、爆発的ヒット作はない。『オトナの男』『DAYS』『ふたつの愛』『あきまへんで!』『アフリカの夜』『終のすみか』……。あの時期に書いたドラマは、どれも私にとっては記念すべき作品だが、視聴率的な記録作はない。
今ほどテレビドラマ離れが進んでいなかったので、イマイチと言っても『DAYS』は二〇パーセントは超えていたし、ヒトケタを記録したようなものはひとつもない。ただ『ふたりっ子』ほどの手応えがないことが、私には不安だった。
それでも私はもの書きであり、書かなければ生きられない。書く仕事だけは手放すまいと思って、休みたい時も逃げたい時も、自分を鼓舞して前へ前へと思って進んで来た。
今、このエッセイ集を読み返してみると、負けてはならないと歯を食いしばっている自分が感じられて、痛ましくもありいとおしくもある。

完成。凝り固まった持論を展開するために書けばエッセイは硬直してしまうし大石静にもそういうところはあるけれど、ところどころほんとうに凄い。〈とにかく人生は暗かった。暗いと思い込んでいた〉といった、物語性のある文章を読めると心臓がうごく。
桂枝雀の思い出もこのエッセイ集を特別なものにしている。〈脚本家になって長年経つが、私の台本を「命をかけた気迫がある」と評してくれた人は、後にも先にも枝雀さんだけである。枝雀さんは、その時、こうも言われた。
その気迫を持ち続けることは、きわめて難しい。あなたも、そうそう長生きできませんな


大石静宮川一郎の弟子。

師匠に何を教わったか、あまり覚えていない。ただひとつ、ビシッと頭に打ち込まれてしまった言葉がある。それは──。
「ドラマに“起承転結”はいらない」
である。猛烈アナーキーなご意見だ。
「次に視聴者が見たいシーンは何か。それだけを考えろ。そうすれば起承転結はおのずと生まれる」