大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈秋田は、アイマイより明晰な論理性を好む。「小説」のみならず、芸術的行為に時としてやむをえず必要とされる、アイマイさ、ねたましさ、暗さ、いいかげんさ、身勝手さのようなものは、秋田にない〉

漫才作者 秋田実 富岡多恵子漫才作者 秋田実』。
秋田實が26歳のとき、漫才師のエンタツアチャコは35歳と34歳。
エンタツさんは、私の台本が出来上る度に、子供のように率直に感激した。私は私で、エンタツさんを喜ばせるために、夢中になって新しい台本を書いた。その新しい台本を、どのようにエンタツさんが舞台で消化するか? それが一番の楽しみで、エンタツさんから貪欲に学び取ろうと心で構えていた。と言うより、エンタツさんが『どんな風にも消化の仕様のない』、そんなスキのない台本を書こうと頑張った。エンタツさんはエンタツさんで、ちょっとでも余計に私の台本から新しい笑いを創り出して、私をびっくりさせようと頑張っていた。互いに負けまいと頑張り、互いに尊敬し合っていた。互いに、互いの無いものを持っていたのである」

「万才」が「漫才」に移っていく段階で失われた近代化は、「しゃべくり」を主流としたことで、「万才」以前の雑芸的要素を失った。少なくともそれは整理された。「漫才」は「台本」をクローズアップしたが、「台本」に著作権を認めるまでに到らなかった。「漫才」は「万才」の近代化ではあっても、「漫才」という芸のカタチ自体に前近代性を残したままで洗練されていった。しかし、「昔と事情が違ってきた」最大のものは、漫才に限らず芸能にとってのテレビジョンというマス・メディアの出現であろう。

テレビでは、いかなる芸人も「部分」としてしか生きられないのである。近代化というのは、とりも直さず「部分化」であったことを思えば当然であろう。(……)
秋田實が晩年「漫才作者」と自ら名のることができたのは、「漫才作者」としての活動がテレビ出現以前であったからである。