大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

失楽園の向こう側 (小学館文庫) 〈「秘密の時間」は秘密の内に処理されなければならない。一日二十四時間しかないところに、こっそり「秘密の時間」を設定してしまうのだから、一日が短くなる〉
橋本治失楽園の向こう側 (小学館文庫)』。

子供の世界観は、性欲抜きにして完成している。しかも性欲というものは、他人との関係を要求するものである。だから、その達成は面倒臭い──ということはどういうことかと言えば、完成してしまっている子供の世界観は、他人抜きだということである。
そこでは、自分が一番えらい。性欲が必須要素としてカウントされるようになり、そこで改変を迫られる世界観とは、この「世界は自分一人で完成している」という世界観なのである。
既に獲得されている「自分が一番えらい」という事実に、修正が迫られる。こんなおもしろくないことはない。だから、性欲がその存在を公然と主張するようになる思春期の時期に、人はやたらと悩むのである。

もしも谷崎潤一郎が教科書に載ってるほどのえらい人じゃなくて、谷崎潤一郎が『新々訳源氏物語』の著者じゃなくて、その時にちょうど昭和が終わってなかったら、きっと私は、『窯変源氏物語』なんか書かなかっただろう。でも、「もう時代は変わったんだし、死んだ人をいつまでもえらいまんまにしてちゃいけないんだ」と思った。「新しい時に思いついた自分の考えから逃げてたら、新しい時代なんか来なくなるな」と思った。だから、「張り合おう」と思った。