大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「ぼくは『ついてこれるならついてこい』と思って作っているので」増田セバスチャン  『ほぼ日刊イトイ新聞』

家系図カッター (角川文庫)
〈25歳で原宿に6%DOKIDOKIをオープンして、気がつけば15年も経っていた〉
増田セバスチャンの自伝(的)(小説作品)『家系図カッター (角川文庫)』。語られるのは2011年まで。そのあと、東日本にはおおきな地震が来る。


妾の子である母とか、新興宗教にハマる祖母だとか。「僕」が難聴だったこととか。
思春期。土曜日の夜になると「僕」は電車で表参道にやってくる。

僕たちは246沿いに歩いて渋谷に向かう。
まだ風営法の改正がなされる前の渋谷は、十代の僕たちにとって優しすぎるほど優しかった。
ゲーセンやディスコで遊び、明け方、トーストおかわり無料の深夜喫茶で仮眠する。外が暖かかったら、代々木公園で遊び明かす。

「僕」はみんなのぶんまで払う財布係だったようだ。進学、就職の時期になるとみんなフツウに世間にもどっていった。
「僕」は、寺山修司の本と出会った。


「僕」は演劇の世界に飛び込んだ。そこで飴屋法水を知る。現代美術への接近。

僕は物凄い衝撃を受けた。
とっさに、藤子不二雄Ⓐの『まんが道』で満賀道雄手塚治虫に出会う、衝撃のシーンを思い浮かべた。それまでのマンガチックな絵が急に劇画チックな絵に変わる、あの名シーンだ。
僕が見た演劇の人たちは、どこか垢抜けなくて貧乏くさい雰囲気を醸し出しているのに、この人は全然違う。
男なのに、全ての仕草にどこか色気を感じる。