水木しげる『神秘家列伝〈其ノ壱〉 (角川ソフィア文庫)』、紹介されるのはスウェーデンボルグ、ミラレパ、マカンダル、明恵。
案内役のねずみ男がのっけから「世の中には常識では考えられないようなアタマをもった人間がいるものです たとえば柱に頭をぶつけた……そういうことをきっかけに日頃誰も気づいていない世界が見えたりするものです」と。
この冷静な距離が水木しげるにあることをわすれるとたいへんだ。あとがきに〈私は昔から神秘好きではあったけれども、どうも百パーセント信じられないものだから、もっぱら観察をしていたわけだが、どうしたわけか(少しボケたのかもしれないが)だんだんと神秘的なことを、ある程度信ずるようになってきた〉
伝記だから駆け足で、ページを繰れば幼児のスウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)が少年になり青年になる。そこに同一性を看て取れる悦楽。絵による表現の魅力のひとつ。
「スウェーデンボルグの千里眼」。胸躍る響きだけれども一回限りのものであり、それを奇跡と呼ぶひともいるが、反復できないスペシャルなことはただ感動と名づけておけばいいのかもしれない。
水木しげるによるミラレパの成長と苦闘も色っぽい
ミラレパはさいご空を飛ぶ。美しいなあ。
「ありゃあろくでなしの呪術師だ」「ろくでなしでも空を飛べるなんてすごいじゃないかうらやましいナ」
マカンダル(マッカンダル)はハイチのヴードゥー教司祭。といっても白人社会の逃亡奴隷。歴史が重くのしかかかる。カルペンティエルの小説『この世の王国』もマッカンダルをあつかっている。幻想や真実は当事者性をかかえこんでいくから、背景を共有しないと白とも黒とも言い難い。それが闇なのか。それで闇なのか。
なぜひとはひとを痛めつけるのだろう。