大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

《社会的分断》

GALAC 29年5月号
表紙、村上虹郎GALAC 29年5月号』。ずるさがない。繊細というのはことばをもたないことかもしれない。


雑誌の特集は、「フェイクニュースが世界を騙す?」。
林香里がおもしろい。〈トランプ氏は、事実の積み重ねや真実の提示より、人間の感情的な傷つきやすさ、コンプレックス、不安などをうまくつかみ取り、そこに訴えるレトリックの力を存分に発揮している〉
〈真実の尊重を根拠に、多様性や自由を否定し、情報の流れに規制をかけることは、リベラルにとって禁じ手である。程度の問題はあれ、トランプ政権や支持者の虚報や妄言も、社会の多様性の一つと受け止めて進むしかない。
問題はむしろ、多用で細分化された社会に固有の「オルタナ・リアリティ」が共有され、その小宇宙の間には厳然とした支配被支配の序列が固定化、常態化していることだ。支配される側は、支配する側に屈辱の感情を溜めこみ、行き場のない怒りを増幅させている〉
〈真実かどうかよりも、同じ考え方をする仲間同士で共鳴するニュースが増長、増幅していく。自分とは考えの異なる情報発信元や、それを取り巻く人々への不信、不満。これがフェイクニュースという手軽でわかりやすい言葉にすり替えられ、安直に表現される〉


トップページの「THE PERSON」に落合陽一。
「コンテンツの競争が、ユーチューバーに食われるという現象が始まっています。クオリティは明らかに番組のほうが上ですが、そもそもクオリティというものを、例えば中学生くらいのユーザーが求めているのかどうかということですクオリティは低いけどネタの目のつけどころがいい作品というのを、そこそこ目にするようになりました。ネタの鮮度がよければクオリティは高くなくても見てしまう目が育ってしまった」