大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「昼も夜も、わたしはおおきな声で泣いていた」

『きらめく拍手の音』観る。Children of Deaf Adults、コーダ(CODA)の監督によるドキュメンタリー。両親とも耳が聴こえない。
イギル・ボラ監督の父サングクは補聴器をつければすこし聴こえるが、母のギョンヒはまったく音を拾えない。だから、授乳期は大変だった。わが子の泣き叫んでいるのも、目視しないとわからない。
IMF経済危機のときにサングクが失業した。この話も凄かった。夫婦で屋台をやって、子どもたちが接客をしたりして。
そういう、エピソードをドラマとして画にするのではない。ドキュメンタリーだから。もう乗り越えた、過去のこと。だからユーモアも生まれていて──いや、もともとユーモアの感覚があった、それでここまで美しく睦まじい夫婦愛や親子関係が築かれているのだろう。妻のギョンヒが「おとうさんは害虫よりもしぶとい。塩をかけてもしなない」。
CODAは、幼いころから両親と外界の大人たちとの通訳をさせられることが多いそうだ。それでいちはやく大人になりもするのだけれど、ストレスもある。他人にかならず親の説明をしなければならない。そこから自由になりたくて、全寮制の学校に行ったり海外旅行を指向することになる。
そういう、因果なところを観るのはスリリングなことで、イギル・ボラ監督のトークイベントにも参加出来、そこから幾重にもスリルが伝播するのだった。


14時30分の回。写真家・齋藤陽道とのトークイベント。齋藤陽道は被写体を物凄く綺麗に撮る。一寸意味がわからないくらいに。窪田正孝の写真が有名かもしれない。
齋藤陽道は耳が聴こえぬひとで、登壇して先ず「概念を変えられてしまった」と手話によって語った。
予告編にもある監督の両親のカラオケのばめん。耳が聴こえないのだからメロディも合いの手も当然音楽とずれている。それでもカラオケを楽しむことができる、享受し、対話の手立てとすることができる。それが斎藤のおどろきであり美しさのひとつでもあった。
齋藤が被写体とのコミュニケーションに用いるのは筆談だけではない。いっしょにごはんをたべる、ならんであるく、というふうにさまざまなかたちで寄り添い互いに理解を深める。『きらめく拍手の音』の登場人物たちに見いだすたくさんの言葉。
それを指摘されてイギル・ボラが記憶からよみがえらせたのは、屋台で働く母からの電話。母は家にじぶんの弁当を置いてきてしまった。屋台を離れることはできない。家にいる幼いボラに電話してきた。一所懸命、発語した。「ボラ、ごはん! ボラ! ボラ! ごはん!」
ボラが返事をしても母には聴こえない。そういう、一方的で不安な訴えではあった。よそのひとが電話をとったら何を言われているのかもわからない聴覚障害者の訴え。ボラは何度も「おかあさん、わかった! おかあさん、お弁当持っていくから! わかった!」と返した。「だって、こちらから電話を切るわけには行かないでしょう?」そういう切実なところをイギル・ボラも齋藤陽道も《美しさ》と呼ぶ。
トークイベントの舞台には司会者がいて、日本語の手話通訳がいて、監督と、韓国語の通訳に、齋藤陽道。穏やか且つ単刀直入なやりとり。日常生活に比するとなかなか貴重な光景だ。
じぶんのことばが通訳されることに慣れているひとたちなので感情表現は豊かだけれどもファナティックでない。