大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈たいていのことは画面で見せてしまうアメリカのTVニュースと、アンカーが表面的にすべてを語ってしまうニュースのあいだには、当然、大きなへだたりがある。アメリカが常に前者であり日本は後者だ、と言うつもりはまるでないし、ぼくの体験などきわめてせまい範囲のことだから、体験をそのまま普遍のようなものへ引きのばすことはしないけれど、まず見せてしまう画面と、ひとりの人が語ってしまう画面とでは、それをとおして見えてくる世界の複雑さが桁ちがいに異ってくることだけは確かだ〉

個人的な雑誌 2

冬には雪にとざされて往き来はとうてい出来ず、夏でも歩いていくとなると普通の人にとってはたいへんな遠征となりかねないような場所に、きわめて個人主義的な理由によって悠々と住んでいる人たちが、アメリカにはたくさんいる。あの広い国のなかには、そのような場所はいくらでもあるし、そこに住む人たちもまた、ヴァラエティ豊かにたくさんいる。

片岡義男個人的な雑誌 2』。1988年の本。アメリカの自由や、撤回や、バイアスや、教育について。片岡義男がじゅうぶんに大人なので分析がしっかりしている。
アメリカの低金利政策について。
〈利子が低くなって家が買える、というだけの理由で大統領を選ぶ人たちは、自分が幸福をとことん追求する権利というものを、生まれながらにして持っているのだと、依然として信じているのだろう。そんな権利がはたして本当にあるのだろうか、とぼくは思ってみたりする。幸福を追求する権利には、ときには失業する義務というようなものが、ともなわないのだろうか〉

アメリカが世界一になるためには、こいつが邪魔だ、あいつがいけないと、世界じゅうの国々が、アメリカだけの都合にあわせて、かたっぱしから名指しで批判され続けるのだろう。アメリカが世界一になるということは、世界ぜんたいがアメリカ式になるということであり、このアメリカ式に対して世界がいっせいに真剣な批判を開始する日は、それほど遠くない。


レーガン大統領が外交がうまいとは、とても言えない。たとえば彼女がマギーと呼ぶマーガレット・サッチャーとくらべると、彼は出来はあまり良くないけれど人のいい遠縁の兄、という感じがする。外交はサッチャーのほうが比較にならないほど上手であり、彼女ほどに外交が出来るなら、首相の職もエキサイティングだろう。レーガン大統領は、このような意味ではエキサイティングではないと、ぼくは思う〉
〈目のまえの問題とあまり関係のないジョークを言っているレーガン大統領を見ると、そのジョークのすべてが、私はアドリブでいくほかないんだ、と告白しているような気が、ぼくにはする〉


ひるがえって日本。
〈案内書や解明本によって説明されればされるほど、東京の謎は深まる。なぜこんなに煩雑なのか、なぜこんなにめまぐるしいのか、なぜこんなに無駄が多いのか、なぜこんなに値段が高いのか、なぜこんなに不便なのか、なぜこんなに過酷なのか、なぜこんなに理がとおらないのか、というふうに、いくつもの「なぜ」が次々に登場し、そのいくつもの「なぜ」はひとつに集まって東京の謎の核心、つまり、政策や行政の貧困にせまることになる〉