大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈あまりに得体の知れないものに出会うと、喜びすら湧きあがる。狭く思えた地球が果てしなく広く感じられる。この世にはまだわたしが知らない味がある! そう思ったら、なにやら胸がときめいた〉

わたしのマトカ (幻冬舎文庫)

 

あくまでも出張中の横道道中である。しかも、はじめての作文。当たりはずれも大いにあろうが、福袋をあけるような気持ちでお読みいただければ、とても幸せである。

片桐はいりの本を初めて手にする。吃驚した。絶品。映画『かもめ食堂』の余録のようなかたちで生まれたものだが、〈わたしが生まれてはじめて仕事以外で出かけた海外は、香港だった〉と書きだされる。

尖沙咀(チムサアチュイ)の繁華街の裏の安ホテルに着いて、薄暗い部屋の窓を開けた時のことは忘れない。迫る路地向かいのアパートの洗濯物、もうれつな街の喧騒。吹きこむ熱い風のすべてがにんにくの匂いだった。にんにく倉庫が火事? と友だちと大騒ぎをした、かわいい二十代のはじめ。あれが、わたしとアジアの出会いだった。

いきなりフィンランドに行かずに、寄り道。このゆとりがことばのなかで色をもつ。記憶は鮮明で、ポジティブでもある。過去や他者を慈しむことができるのは、名文の作法の一つではないか。

好奇心、旺盛な食い意地からの香港での失敗も、父親から「吐くまで食べる。えらい。それが食通だ」と慰められ、〈残念ながら、大人になってみたら、わたしは単なるまっすぐな食いしん坊だった〉と謙遜しつつフィン・エアーに搭乗。〈機内食は、なによりパンがおいしかった〉──するりとフィンランドに入っている。

ほかの旅行者とちがってもっともっととおかわりするものだから、客室乗務員もいろいろなものをもってくる。初心者向けと、通好みのものと。

〈プッラ、つまりシナモンロールと、サルミアッキ。日本で言うなら、おにぎりと納豆に相当するだろうか。行きの飛行機の中ですでにわたしは、フィンランドの“魂の味”に出会っていた〉

 

 

その国につくとまず、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい、に負けない順位で、おいしい、という言葉を覚える。デリーシャス! サブロッソ! マシッタ! ホウメイア! ヒューヴァ! いったいいくつのおいしいを覚えただろう。

 

 

わたしの快楽は、むしろ小銭で用が足りる。

(……)知らない町に行くと、頑なに地元の乗り物に乗りたがる。わたしは小銭レベルの冒険が大好きだ。

 

 

英語がままならないから、嘘をつくつもりがなくてもそうなってしまうこともある。そうなったらそうなったで、そのようにするしかない。外国ではわたしはいつも大嘘つきなのだ。

 

 

一期一会に対する感覚も凄い。

〈撮影が終わって、次の仕事まで一週間ほど余裕があったので、わたしは二、三日の居残りを決めていた。ひとり暮らしの母親が、

「今年の秋刀魚は旬が短いらしいよ……」

と暗にわたしの一日も早い帰国をうながした。どんな言葉より、その誘惑はわたしをよろめかせたけれど、秋刀魚は来年も食べられる。フィンランドに次があるかどうかはわからない〉