大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

二〇二〇年に、二〇日連続公演をする由

桂文珍独演会『一期一笑 ジャパンツアー』行く。

開口一番は桂文五郎「延陽伯」。丁寧で標準語寄りな文珍師とちがい、はっきりした大阪のことば。熱演で、上方落語の会に来たんだあと嬉しくなる。

「延陽伯」は東京でいう「たらちね」。馬鹿丁寧な口調のおかみさんをもらったおとこの話。

 

桂文珍、先ずは「小言念仏」を改作した「世帯念仏」。仏壇のまえで念仏を唱えながらぶつぶつ、ぶつぶつ家の者に意見する。リズムは自然に生まれるし、笑うばしょもわかりやすい。

つづく内海英華、女道楽。三味線。都々逸。なかに「勧進帳」を挟みこんだものがあって、技術殊更凄かった。「いややわぁ。なんでこんな巧いんやろ……」と謙遜もあろうけれども自負も匂わせ、快い。

桂文珍二席目は「不思議な五圓」(「持参金」)。これが、おかみさんをもらう話で「延陽伯」とカブりつつ、ただの笑い話ではなかった。人情噺として仕立て直されていた。おとこもおんなも幼時にさびしいおもいをしてきたからあたりのことによく気がつく、とか。番頭の子を身ごもった、というのは嘘だった、とか。

 

仲入後、桂文珍「胴乱の幸助」。上方らしい落語だった。舞台は関西。でてくるのは浄瑠璃。皆が『お半長右衛門』を知っていることが前提とされた世界で、堅物の幸助がそれを知らない。喧嘩の仲裁が趣味の幸助、“お半長”を浄瑠璃の話とわからぬままその争いを停めに伏見まで行ってしまうという……。

けったいな噺といえばそれまでだけど、田舎育ちで真面目に働いてきた幸助のかなしさがせつなくもある。

無趣味、というのはかなしい。カネとの付きあいかたも、ヒトとの触れあいかたもわからないのだ。

 

客層は、平均年齢高め。そちらに振り切ってネタづくりをされている。