大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

舞台は1960年代の、スウェーデン。

ストックホルムでワルツを(字幕版)
パートナーはいない。一人娘をそだてながら、電話交換手をしながら、ジャズシンガーとして夢をつかもうとするモニカ。これだけでくるしくて泣けて仕方ない。物語が要らないくらい、じゅうぶんに生活と夢がある。
伝記映画『ストックホルムでワルツを』(2013年)。ストックホルムのステージでうたっていたモニカ・ゼタールンド(エッダ・マグナソン)は、ニューヨークに誘われた。。演奏するのは、トミー・フラナガン・トリオだ。
かれらが黒人であるために楽屋のないことや、黒人と白人が組んでステージに上がってはいけないこと。スウェーデンの白人女性がニューオーリンズをうたうことのナンセンスをエラ・フィッツジェラルドに指摘されたり、ニューヨークでは散散な目に遭う。帰国するとモニカの奔放な生きかたを認めない父親に厭味を言われる。「木のぼりをはじめたら、てっぺんを目ざして、大怪我をする」少女のころから変わらぬモニカの気質を父は否定する。
金銭的なこともある。家庭というものを欲してもいる。モニカは、じぶんにメリットのあるおとこと寝るようなところもある。そうやってなにかをさがしているのだ。
ニューヨークで得たのは、じぶんの歌をうたうということ。英語ではない。スウェーデン語で、土地や自身をうたう。
そのなかでさまざまなことがある。歌手としての成功と挫折もあれば、妻や母親として自身をうしなうような拒絶にも遭う。息が詰まる。
クライマックスは、ふたたびニューヨーク。ビル・エヴァンスと共演する。美しい。