ゴシップから都市伝説へ。スコップでかるく掘りかえされもした「アタリ社のクソゲー『E.T.』が埋められた土地」。舞台となるアラモゴードの元市長や市長候補も巻きこんで、ゲームソフト『E.T.』が数百万本埋められたばしょを発掘する。
ドキュメンタリー『Atari: Game Over』(2014)。どんな時代だったか。どういうゲームがつくられていったか。
西海岸やシリコンバレーの《自由》を培った企業のひとつがアタリで、創業者ノーラン・ブッシュネルの話がおもしろかった。遊園地でアルバイトをしていたときに知ったアーケードゲームが儲かること。その筐体、それから家庭用ゲーム機とステップアップしながら、はやい段階でワーナー・コミュニケーションズに株式を売却した。その時期のことを語るのは、ワーナーからやってきたマニー・ジェラルド。絶頂と、転落を見た。
『E.T.』で大コケし業界を追われた花形プログラマー、ハワード・ウォーショウが発掘に立ち会う。「僕はゲームを設計するために生まれてきたんだ」──。
1983年に何が起こったのか?
ウォーショウも若く、無理難題に乗ってしまったことは問題だったが、通常5〜6ヵ月かけてつくられるべきゲームを、クリスマス商戦に間に合わせるため、5週間で仕上げた。デバッグや難易度調整もロクにできていない。『E.T.』。
「3年半のあいだにここで経験したことが、その後の僕を25年間苦しめた。人生の基準が設定されてしまったんだ」
アラモゴードの廃棄場にはさまざまな伝説や不安があった。鉛が埋まっている。しんだ豚が埋められている。プレイできる状態の『E.T.』はでてこないかもしれない。
《事実》が掘りおこされる。
汚染された豚は埋まっていなかった。
事実というのはシンプルだから、ひとびとにさまざまなことをおもわせる。