大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

初 八光亭春輔。あなたは?

八光亭春輔 独演会』行く。ひとにおしえられて、普段はつけない都合をつけて伺った。
マイナーというか、レアというか。昔気質の落語家にはそういう方がいる。出番がすくないから腕がなまっているのかというと、そうではない。巧みなものだ。
芸人としてそれぞれに進化、深化があってその行きつく先はメインストリームでないなんてことはある。弟子をとらなきゃその芸はそこで途絶えてしまいもする。
色川武大『なつかしい芸人たち』は消えていった芸人や俳優をとりあげてマイナー列伝の趣があるけれど、いつの時代もそういう芸人たちはいて、そのかがやきにこちらはびっくりするわけだ。


八光亭春輔。1947年生。林家彦六の弟子。前座名、林家あとむ。
その生年と前座名だけで胸が熱くなる。鉄腕アトム。軽薄なような命名から、将来を嘱望されていたのが判る。
彦六譲りの芝居噺。けっして標準語的でなく、抑揚をつけて、どっしりと。
聴きながら、歌舞伎や上方寄りの古典芸能を好きなひとのことをおもった。聴いてもらいたいなァこれ。
演ったのは「千両みかん」と「豊志賀」。チラシには〈日本の夏、林家の夏…〉、若旦那が真夏にみかんを恋うるハナシと怪談。


「千両みかん」は序盤をバッサリ切ってはじめた。
上から下まで基本は住み込みの商家、そこに通いの番頭、その後ろには大旦那、自ずと柔弱になる若旦那、と立ち位置しっかり説明をして、恋の病といっても女性ではなくみかんでしたと。
この噺のおもしろさというか異常さは、みかん三粒を手に行方知れずとなる番頭にある。そのためには若旦那のおっとりしたところはもちろんだが、若旦那と大旦那の金銭感覚のおかしさを目の当たりにして、通いを許されていた世間知のかたまりであるはずの番頭がヘンになっていく。過去や未来もあやしくなる。
おそろしい噺だとおもう。狂気を描写しようとすればいくらでもできる。それをすれば野暮で、だから省いて、それでも垣間見える価値観のズレ、他者にみるスケールのおおきさ。
“ある番頭の死”としての「千両みかん」を聴けて良かった。
そのあとに怪談『真景累ヶ淵』から「豊志賀」。
豊志賀の一念と、若旦那の一途さをならべてかんがえたことはなかった。そして「千両みかん」だったからこそ、豊志賀の狂気と、番頭のそれを比べてみる気にもなった。