大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈結論めいたことを言ってしまえば、日本人には「悠長なシステム」を構築して、洗練された「時間の無駄使い」をする才能があるのです〉

性のタブーのない日本 (集英社新書)

橋本治が亡くなった。2019年1月29日。

橋本治」という一人の書き手としてはまだまだ進んでいけたとおもうし残念だけれど、どれだけ長生きをしても接ぎ木する若手は現れなかったことだろう。エピゴーネンばかりだ。

橋本治の本を読んでいくしかない。その断片となるだろうけど、本を読む習慣のないひとにもいくらか「橋本治」が伝わればと。そういうメモがあったりもする。

 

集英社新書『性のタブーのない日本』。

まだ自分が小説を書くようになるとは思っていない頃、他人様の書いたセックスシーンを読んで、「気取ってんじゃねェよ」と思ったことは何回かありました。もうちょっとなんとかなりそうなところで「文学的な表現」へ逃げたり、腰砕けのままで終わっていたりしたからです。作者が、どっかで恥ずかしがっています。

気取り、というのは《クローゼット》に通ずる。橋本治はそういうふうには書かないが──セクシュアル・マイノリティであれば立場によって同調圧力がちがってもくるし──ストレートが気取る必要は、ない。それを言う橋本治は同性愛感覚を隠したり美化したりしなかった。

この本も半ば過ぎまで読んでいくと紫式部源氏物語』に見いだすことのできる〈男の同性愛──BL(ボーイズラブ)〉の話がでてくる。

〈ある種の女性作家達はBLが好きで、あるのかないのかよく分からないものを、まるでファンタジーのようにとらえて発見してしまいます。《女にて見む》という表現を創出してしまったのなら、紫式部も同じです〉

「女装させたら似合うだろうから、メイクさせてみたい」というようなもんではありません。「女として(女にして)やりたい(見む)」です。「見る」は「やる」で、「女だったらいいな、やっちゃうんだけど」であり、「やりたい気がするから女になっちゃえばいい」です。

どういうきっかけであれ橋本治の文体についてこれたならこれもどうぞとボーナストラック的に供されるゲイ談義。〈『源氏物語』の中には、「一人の女を共有することによって男同士が親愛の情を成り立たせる」という隠れた同性愛原則があるように思います〉

それは時代と切り離された独り善がりの妄想ではない。

紫式部が生きた時代は、摂関政治の全盛期です。(……)

藤原氏の長者であるような男が摂政になり関白になるために必要なのは、「天皇の子を産む娘」です。だから、摂関政治の時代に価値があるのは、男ではなく女です。

 

頼通を最後とするような摂関政治の時代に男色がなかったとは思いません。紫式部が「《女にて見む》というのもアリだわ」という発見をするくらいだから、潜在的には存在していたでしょう。というか、それに対するタブーなんかはないのだから、やりたいと思った男は勝手にやっていたでしょう。

 

藤原頼長院政時代の男色のあり方を代表する人物の一人です。彼は何人もの男──元服前の未成年なんかではない成人男性との性的関係を持っていますが、彼の欲望を刺激するのは「美しい」というものではありません。人間関係の補強のために、男と性的関係を結んでしまうのです。

〈武士──武者というものは、王朝世界の外で出来上がって行ったものだから、王朝のことはよく分からない。そして王朝世界は「平安期女流文学」というものが出来上がってしまうところだから、男尊女卑なんかではない。だから清少納言は「女をバカにする男なんてサイテーよ」というようなことを平気で書ける。男尊女卑を通り越して、女の力の方が強くなってしまうから、それにうんざりする藤原頼通のような人が出て来て、院政の時代へと進んでしまったりもする〉

つづく鎌倉、室町、江戸、明治の主従や同性愛の感覚は橋本治が詳述するまでもない。タブーがないから日本の性愛は即物的であり、「芸術か、ワイセツか」というようなものではなかった。

能は「お芸術」という顔をしていますが、よく考えると能で主役になるのは多く、死んだ人とか妖怪の類です。そう考えれば、へんなドラマです。大きな時代の転換期であり文化の変化期であるこの時代のものは、前時代の常識から比べてみんなへんで歪んだものです。俳諧連歌の下ネタ丸出しは、そういうことの反映です。

芭蕉は「でもそういうもんだけが人間じゃないし」と思って、俳諧連歌を「芸術」の方に持って行きました。そこから生まれた俳句は、エロとは関係ないみたいなすまし顔をしていますが、俳句を生んだものはエロなのです。