ナショナル・シアター・ライブ『マクベス』観る。冒頭に制作者の解説映像あり。
もともとの舞台は11世紀。「超自然的な力を信じた時代」である。設定はそこから近未来へと変わる。
現代のイギリスがかかえる問題をかんがえると欧州連合、多民族、他宗教、経済格差、テロリズムなど、ようするに『マクベス』的な転覆が夢みられもするし、だれかの都合でそれが起こるかもしれぬという不吉さを肌にかんじもするだろう。
安定した日常というものがない。それが内乱つづく荒廃としてえがかれる。冒頭インタビューの「うわべだけの民主主義」ということばが沁みた。それは状況次第でかんたんにうしなわれると。
独裁、恐怖政治はいまもすぐそばにある。そんな絶望的なところから今回の『マクベス』ははじまる。
だから、インタビューで「別々の荒野」と言われもしたのだ。安泰のスコットランド王ダンカン治世下と闇夜の魔女たちといったコントラストは、ない。
今回の舞台は『マクベス』で先ず想起されるだろう「きれいはきたない、きたないはきれい」の台詞をカット。シェイクスピアの原作はかなり刈りこまれていた。それがリアルだとおもった。
ことばの説得力は失効しつつあり、映像の力がどんどんつよくなる。三人の魔女の演出に顕著だったけれど、ハリウッド映画、それもディズニーの影響。もっとおもえば量産されるテレビサイズのほうかもしれない。世界は狭い。なのにたくさんのかんがえかたが溢れかえっている。
そのなかで、おおきな共同体をつくろうとするか、核家族的に先鋭化していくのか──マクベス夫婦は後者だ。ダンカン王(スティーヴン・ボクサー)が気さくで隙だらけなのと比べると、マクベス(ローリー・キニア)もその夫人(アン=マリー・ダフ)も陰(いん)に籠(こ)もって物凄い。
かれらには子どももいない。ひとのことは信じられないが、システムとしての権威には一目置く。幻視にすがりつくわけである。
自らを鼓舞するほどに狂気に近づいていく。
ローリー・キニアが上手かった。主役を張れるにんげんとして、くっきりしていた。