大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

黒白(こくびゃく)。加わるのは赤。

舞台『黒白珠(こくびゃくじゅ)』観る。シアターコクーン

チラシの「あらすじ」を読むかぎりでは大江健三郎中上健次えがく第一次産業の男の野心や精力、恥辱に失墜といったものを想起したが、そうではなかった。時代設定は1990年代、佐世保の真珠をあつかう男。〈大地は知人から「真珠の養殖業から手を引くので会社を買い取ってくれないか」という話を持ち掛けられていた。バブル崩壊後、景気は回復していない時節だったが、養殖から販売までの一貫経営の夢を抱き“生涯最後の大博打”とその話に乗る。しかしその年の赤潮被害で目論見は大きく外れ、会社は倒産の危機を迎える……〉(あらすじ)

“産めよ、増えよ、地に満てよ”というかたちで、野心は神話的繁殖と容易に結びつく。そこに若い兄弟が登場すればカインとアベルとなる。パンフレットにはまさにそのことが書かれていた。

〈今回ご覧いただく舞台は、プロデューサーから「長崎を舞台に『エデンの東』を書いてみませんか?」と言われて始まったものでした〉と脚本の青木豪「ごあいさつ」にあって、チラシの「あらすじ」がするりと呑めた。

ところが実際の舞台はこのあらすじと異なる。家族や純愛に焦点を当て、ビジネス面を大幅に削った。だからこそひとつの仕事をつづけられない長男・勇(松下優也)のだらしのない不器用さや、東京にでて進学、就職活動と見たところ順風満帆な双子の弟・光(平間壮一)の働くこととの向きあいかたがくっきりと浮かんでもくる。

みごとな脚本だとおもった。休憩を入れて2時間30分に収まる舞台で『エデンの東』は無理だろう。プロデューサーの希望を容れつつ物語をスリムにする手腕。俳優たちへの信頼もあってのことだ。

河原雅彦の演出もそれに適っていた。役割をきれいに分担させている。松下優也と平間壮一は感情のままにうごく。そのうえで、平間のあたえられた光役のほうがふくざつで大変だったろうとかんじたけれど。村井國夫、風間杜夫には《後悔》と、それでも生きる《つよさ》を。コミックリリーフに、フランス料理店「ラ・メール」の店主を演る平田敦子、軽妙な占い師・藪木の植本純米。

 

勇と光の父である大地を演じた風間杜夫が凄い。いま、風間杜夫を観ることの仕合せ。なにもなさそうで、なにかある。ある瞬間にいきなり辷りでてくる心の抽斗、というのは若き日の『蒲田行進曲』からあった資質だけれども、日常生活に長けた平平凡凡たる中年男にもそんな哀しみがあるとおしえてくれる。

村井國夫演じる須崎のしたたかさ。純子(高橋惠子)の孤独。

勇のガールフレンドに清水くるみ。須崎のホームを手伝う沙耶に青谷優衣

 

松下優也は真っ直ぐを演じて、かしこかった。

パンフレットには〈“馬鹿”ということに話を戻すと、たとえば上司や先輩に怒られても言い返さず、でも自分のやり方は曲げない人っているじゃないですか。なにも言わないから「なんなんだ、こいつ?」と馬鹿みたいに思われがちだけど、本人は理由があるから信念を曲げないんだと思う。勇もそういう人なんだろうし、頑固なんだと思います〉

〈このお芝居には集中して聞いていただきたい部分が結構あるんです。そこがきちんと伝わるように頑張りますので、気持ちを途切れさせることなくご覧いただけたらうれしいです〉と。

 

サスペンスだから、ストーリーに踏みこむ部分は避けるが、とても印象にのこった台詞。大地(風間杜夫)の述懐。

暗くなったら負け。

おとこだけの所帯、生活、就労のもつ重苦しさをやり過ごすための方途だ。男子アイドルのキラキラが美しいのはこの《暗くなったら、負け》を判っているためだろうと、やや逸脱のような、解きはなたれた気持ちで劇場をでた。