大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈学生の時に言われた言葉たちは本当に尊いのだ〉  さいあくななちゃん

芸術ロック宣言

トークライブ「芸術ロック公演」(ワタリウム美術館、オン・サンデーズ)行く。『芸術ロック宣言』の現代芸術家・さいあくななちゃんと、装丁を手掛けた川名潤によるイベント。あまりに率直で、何度も胸を衝かれた。

さいあくななちゃんはこの本に命を懸けていた。「芸術」も「ロック」も、ななちゃんにとってたいせつなことば。しぬ気でこの本をつくる。そういう熱量を芝居がかっている、キャラクターじみたものとして受けとるか、ほんとうのこととして容れるのか。

出版に対して自由なDLEパブリッシングだったためにうまく行ったのかもしれない。いや、うまく行っていなかったのだ、『芸術ロック宣言』は完成せずに延期していた。

一昨日の入校日にもう間に合うのが難しいと編集の方に言われました。彼に対して「ちょっとありえないです、ショックすぎて言葉がでませんでした」と責めたラインを一通送ってしまい、家の壁を3回殴りました。壁がへこみました。27歳のロックスターの夢しょっぱな破れる。負けっぱなしだな本当に、私の人生ってやつは。私はいつも負けっぱなし、情けない。太郎賞があってなんだかんだバイトもせずに一年生活できてたけど、賞の喜びや栄光なんて一瞬で、それからはこれ読んでくれてる人もそうだと思うんですけど、負けたり叶わなかったり相変わらずの日々が続いてます。

 

一緒に仕事をしてくれてる人を前に1年間怒ったり、泣いたり、喜んだり、いつも自分は絵にしか感情がうまく吐き出せないので、ここまで喜怒哀楽を人の前で吐き出す自分にびっくりしました。時には会議で机を叩き割りそうになったり、血も涙も何度か流れ、こういう私でもわかってついて来てもらいました。

 

いつも「負けた」と思った時に、「よし、いつかの一発に絶対するぞ。」と思うことが多くて、一昨日感じた「負け」を一発にするのは絶対にこの本での一発でなければいけないと思います。

著者と、デザイナーのあいだに編集者が入る。それがふつうのやりかただけれど、「通訳」が介在していてはラチがあかない。それでさいあくななちゃんは、川名潤と「合宿」することにした。

 

さいあくななちゃんはこれまでの作品2000点のうち、500点くらいはこの画集に入れたかった。

川名潤が本の仕事を好きなのは「手を入れる面積がデカい」からだった。

 

川名潤にとって本と向き合うというのは「地味」なことだが、ななちゃんにしてみれば「キラキラ」。どちらも正解。ことばによって、ひとつのことがたくさんの方向に散らばってしまう。

それをへたに「通訳」するとディスコミュニケーションが加速する。どんどんまずいことになる。「合宿」した。一気呵成に仕事した。そのなかで、生まれる雑談。固有名詞がでる。好きなのは。たま。ブルーハーツ大竹伸朗草間彌生

ふたりして好きなものがあった。あいてを理解しはじめた。

 

さいあくななちゃんは、この本の完成でひとまずの到達をみた。正直、感覚を小休止させたいところだろう。そこへ川名潤が、敢えて二冊目の話を振る。「一冊だして満足して、それきり音沙汰のない作家はいっぱいいる」

川名潤はやりきってなどいない。今作はマゼンタを蛍光ピンクに替えた。つぎは、潤沢な予算で五色刷り。マゼンタも蛍光ピンクも入れて、さいあくななちゃんの作品がもつ本来の「重さ」をだす。

 

さいあくななちゃんとにかく熱い。真面目なのだ。作品をすべてエクセルで管理していたり、対談に備えてメモを作成していたり。

一対一で、きちんと届く。だから本をひらいている時間、キラキラする。

「ロック」は想いを肯定する、ひとを元気にするとさいあくななちゃんは言った。「しね」ということばでさえも、ひとに前を向かせる。それが作物のもつ力。

多数派で多数が好きなものを作り上げてそれが売れることもわかっている、褒められることだって、人間関係円滑にやれることだって、7年目だ。ずっとやっているのでとっくに「成功」するための「近道」に気づいてしまっている。余計なことなんて言わなきゃいいのに。知ってるよ。「死ね」も「死にたい」も言わない方がいいことなんて。しかしだ、自分自身を生きるというもっともシンプルなものをやるものの美しさに人生が触れてしまった自分がいる。