大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「眩しいなあ。夏の青い空がワチには眩しい」

『相対的浮世絵』観る。脚本・土田英生。初演は2004年。

2010年に再演。そして今回の2019年。

中年期を迎えた同窓の男二人のもとに、高校時代に亡くした旧友と、弟が現れるようになる。おばけとか幽霊というふうに呼ばれるのはいやがるが、どうやらそういうものである。

 

山本亮太(宇宙Six)、伊礼彼方、石田明NON STYLE)、玉置玲央、山西淳とおせちのように豪華なキャスティング──ジャニーズ、ミュージカル、お笑い、小劇場(中堅、ベテラン)と、とりどりのジャンルからやってきたメンツを「同級生4人とその弟」として演出の青木豪がみごとにまとめた。

舞台には、能のけはいもある。そのうえで、そこを外してくる可笑しさもある。

死者のところから舞いもどってきた、けれどもじぶんたちのありようがよくわからないふわふわした立場を演じたのが山本亮太と玉置玲央だ。明るく、善意でいっぱいで、そこが浮世の伊礼彼方と石田明には不可解だし、突き刺さる部分でもある。生きている者として罪と罰を意識すれば、これまでとちがった行動をとることもあろう。

突飛と、緊張感と、収斂。ひと息にみせる舞台だった。脚本も、俳優もよかった。

標準語とは一寸ずれた架空の方言で会話される。そのために、台詞の上ッ面をなぞる嘘くささがなくなる。リアリティの獲得。山本亮太を初めて観たけど、とても自然にこなしていた。

パンフレットを読むと、山本亮太明晰。しっかりしている。

僕は十八年の間、ジャニーズの舞台作品にたくさん出演させていただきましたが、外部舞台に役者として出演させていただくようになったのはここ二年くらいなんです。それ以前の本番ではお客様に向けてどう芝居をしていくか、稽古では演出家の方に見ていただいて、どう直していただくかに集中することが多かった。だから自然と、体が正面を向いていることが多かったんですね。でもこうした作品は、ときにはお客様に背を向けるくらいの感覚でやらないと成立しない気がして。

実際、客席に背を向ける場面が幾度もある。ここは演出家だろうか、役者の発案だろうかと観るのも刺激的だった。

山本が「少人数で濃密な舞台をやるという機会は今後も限られると思うので、そこも楽しんでいただきたい」と語っているのが印象にのこる。

 

執筆中でなく、すでに完成している戯曲だからパンフレットもおもしろい。俳優陣が読みこんできている。

伊礼彼方は「『このままではいかん』と遠山や達朗が来たのか、あるいは智朗や関が呼び出したのか……。時には遠山や達朗が、智朗が内面から生み出した存在のように思える瞬間もあって」。「リアルな兄弟でいながら、存在する次元の違いが起こすノッキングをどう表現しようか」と。

伊礼が演じる智朗と、石田明の関には共通するだらしなさがあるのだが、そこにもちがいがあり、石田はハッキリと区分している。「これは十五年前に初演された作品ですが、初演時には関の問題もすんなり見られていたと思うんです。でも今はちょっと『ん?』となる人も多いかもしれません。ただ、実際にそういう人はいるわけだし、ここを単にオモシロのような感じでやってしまってはあかんなと思うんですよね」。

「関たちが通っていた高校は男子校ではないですけど、ノリとして男子校の雰囲気ですよね。こういう集団で過ごした日々は色褪せないじゃないですか」

関の台詞に「この年齢になるとそうそう心を割って話せるような友人は新しく作れんでなあ。しかし人間誰しも心を許せる人間は必要だわ。するとどうなる? 頼りになるのはやっぱり昔からの知り合いだという結論だわなあ」という言葉がありますけど、まさしくそうで。

 

ある程度の年齢になって家庭があると、物事をフラットに眺めながら、上がれるところは上がる、下がるところは下がるという考え方になってくるじゃないですか。それがすごくこの物語ともぴったりだなって。

 

野村役の山西淳。「智朗や関は、壁を乗り越えようとせずに逃げることで引き返せなくなって悩む。でも、野村には先がないから悩む必要もないし、あの中で異質な存在だからなのか、とても客観的なんですよね。

ただ、野村の視点から智朗や関を見ると、悩めることを素晴らしいとも感じるんですよ」