昭和十七年の冬、私は単身、東京の何もかもから脱走した。
さいしょの一行からゾクゾクする。逃げだす者がおぼえる陶酔を想うと昂奮してしまうのだ。
「私」は神戸にいた。〈街の背後の山へ吹き上げて来る海風は寒かったが、私は私自身の東京の歴史から解放されたことで、胸ふくらむ思いであった〉
西東三鬼『神戸・続神戸』。戦争中の話。外国人と女性ばかりの「奇妙なホテル」に「私」は長期滞在していた。〈その頃の私は商人であった〉
〈私の商売は軍需会社に雑貨を納入するのであったが、極端な物資の不足から、商売はひどく閑散で、私はいつも貧乏していた〉
多くのひととはちがう暮らしである。
マジットはのべつ嘘をついた。彼の各国漫遊談は、その嘘が混じるために、実に独創的で、新鮮で、いつまで聞いていても飽きなかった。だから私は、それは嘘だろうなどとは決していわなかった。
そうではあるけれど、「私」は他人の物語についてシビアでもある。
通俗小説はどこまでも通俗的発展をせねばならない。
私は運命論者ではないが、戦争をしている国の人間は、誰でも少しずつ神秘的な精神状態になるのではあるまいか。
そもそも私が神戸という街を好むのは、ここの市民が開放的であると同時に、他人のことに干渉しないからである。誰がどんな生活をしていようと、どんな趣味を持っていようと、それはその人の自由であるとする考え方が、私の気性にあうのである。
〈彼等や彼女等は、戦時色というエタイの知れない暴力に最後まで抵抗した〉
小心な私は「危険な曲り角」を曲らなかった。そのために、その後は、ゆるやかな危険に、常に身をさらしているのだ。
「続神戸」では戦後もえがかれる。〈私は、昭和十五年の夏以来自ら中絶していた俳句を、終戦と共に、再び作り初めた。新興俳句の断絶以後、私は新しい方向を発見せねばならなかった。五年間の空白の時間は新興俳句への反省の時間でもあった。しかし、それは弾圧を是認するようなものではなく、防空壕の棚に置いてあった俳句の古典と、新興俳句の精神とのつながりを発見することであった〉
詩作をしない沈黙の期間。再び立ちあげるための戦略。こういう刻の重さが人生だなあとおもうようになった。
そして「私」はやっぱりおかしな仕事をはじめる。
しかし、私は何でもやってみたかった。歯科医、会社重役、商人と、私の職業は転々したが、最低と聞いてからは、そこに自分を置く決心を新しくした。
〈便所修理屋になっていたのだ〉