大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「『劇団を売らなきゃいけない』みたいなことを言い訳しながら、ホントはじぶんが売れたかったんだろうし」  三宅裕司

『達人達』、三宅裕司とレキシ。ナイツとハンバート ハンバート回から。

 

「劇団つくって。劇団だけじゃ食っていけない。みんなが食っていけるには、だれかが売れなきゃいけない、よし、じゃ絶対売れてやろうってことで、どんどん売りこんで、で、やっと仕事が来るようになって。それがどんどん軌道に乗って、お客さんどんどん増えて。舞台でね。それで当然『三宅裕司』がどんどんお仕事をもらえるようになって。……とても断れないですよ。どんどん劇団がおろそかになって。だから、劇団の公演がつらくなるわけですよ」と三宅裕司

「劇団員に不満が募ってくる。それは当然わかるし。そのストレスが溜まってくる。でも仕事はある。やんなきゃいけない。くああああって、なってね」

 

だれかのファンであるというのは、好意をもって眺めていること。三宅裕司はいつだって好調なんだとおもっていた。しかし世代交代はあった。テレビの仕事が減っていた。中年期の三宅裕司はあがいていた。

入院したり、舞台に軸足を移したりというなかで、売れっ子でなくなることとの折り合いをつけていったらしかった。

その辺りを淡々と語る三宅裕司が、いかにも三宅裕司で良かった。

「フリがあって、オトす笑い」。テレビ的ではない。「逆行」「退行」というふうに誤解されるのは怖くないかとレキシが聞いていておもしろかった。

だが舞台には魔力がある。観客にも演者にも訪れるおそろしいほどの一体感だ。

もちろん、それに酔っているだけでは場をコントロールできない。

喜劇っていうのは、七割、芝居に入り込んで、あとの三割は俯瞰して見てなきゃいけない。ていうのは、何が起こっても芝居を停められないし、コメディだからすべて笑いに持っていけば、何とか乗り越えられるわけ。台詞忘れようが、間違えようがね。出トチリしようが。

「アドリブで言ったようにみせてるところもいっぱいあるわけだから」

三宅裕司はしたたかである。だから言う。 

「音楽をやってるひとっていうのは、むかしからホントにおもってたんですけど、ものすごくピュアなんですよね、心がね」

 

レキシは《飽きる》ことを自身の問題として抱えていたようだったけれども、舞台というのは繰りかえしの世界。それはナイツ×ハンバート ハンバート回からも伺えた。

ナイツ塙。

「『ウナギのタレ』ていう。僕ら呼んで。漫才言ってんですけど。ずうっと、その。おなじかたちのやつ、やるときも、やっぱりこう、ウナギのタレも。タレ、新しく変えるじゃないですか。ずうっとおなじタレじゃないですか。そういうかんじでやってますよね。ちょっと間を変えたりとか。言い方を変えたり。ちょっとこう、ちがうボケを、この『タレ』のなかに入れて。結局おなじ『タレ』ですけど。あんまり気づかないかもしれない。こっちは。こっちはやっぱり継ぎ足し継ぎ足しで。やっぱり。新しいことをやんないと、やっぱりこう、腐っちゃう」

おなじようでないといけないが、おなじではいけない。新鮮で、わくわくできる状態を保つ。

漫才の舞台を浅草にもとめたこともその一つだろう。

ネタ作りも、膠着するようなやりかたにしない。二人で相談して作っていては、継続はむずかしい。一人のほうが良い。

「圧倒的に大量に作れますね。そのほうが。はい。だから、みんな月に一回のライブがだいたい芸人のペースとしてあるんですよ。若手芸人。その月一回の事務所ライブで成績が良かったら、次ステップアップしていく。みんな若手芸人と飲み行くと『来月のネタ、ちょっといまかんがえてんすよ』みたいな。で、コンビの相方と話して、一本作ってくんですけど。やっぱり芸人になってですね、一ヶ月に一本のネタのペースでやっていこうということ自体が、まずプロとして失格なんです。ほぼ、月に十本でも二十本でも作るぐらいのペースじゃないと、やっぱり無理だと思うんです。そのときにいちいち二人で会って、ゼロとゼロで『ここどうしようか』て言って会って。会いますよね。そうすると作れないですよ。ゼロ、ゼロだから」

そこそこのものを多作する、という助言はいくらもあるが、塙は「速いし、独創的になる」とオリジナリティの発生も説いていた。

 

「聞かせたいボケって、意外に張らないボケだったりするんですよ」にしみじみする。「さらっと言うからおもしろいボケ」

おおきい声ばかりが正解ではない。