大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「信じられないものは、事実じゃないんです」

大鶴佐助大鶴美仁音ふたり芝居『いかけしごむ』観る。有料生配信。60分。

台本は別役実。街の深いところ、どんづまり。だれも訪れないようなばしょに女がひとりいる。そこに、逃げてきた男。

 

「ココニスワラナイデクダサイ」という注意書や「いのちの電話」、「手相見」。コミュニケーションの可能性を示唆する道具立ては1960年代から70年代を想起させるが、1989年の作らしい。

黒いゴミ袋を抱えて登場する男。なにが入っているのか。どうして逃げているのか。

女が勝手な類推をする。この男は妻に逃げられ、のこされた幼い娘を殺めたのだと。対する男の言い分はおかしなもので、この袋のなかにはたくさんのいかが入っている。発明したんだ、「いかけしごむ」を。

そのことで消しゴム業界は大変な打撃を受けるだろう。それで「ブルガリア暗殺団」を傭い、じぶんをころそうとしているのだと、男は言う。

互いの話がまるで噛み合わず、平行線。典型的な不条理劇である。どこまでもつづけていけるからこそ、着地のためにおおきな事件が用意されるのだけれども、そこまでなにで引っぱるか。

この劇は、黒いゴミ袋だろう。そこに入っているのはバラバラの死体か、いかか。その好奇心を掻き立てたほうが観客のためではあるのだが、そういう演出にはなっていなかった。年の差もあって、大鶴佐助が防戦一方だったのも、惜しいところ。

そういう、やや物足りない部分もあったがこの時期に舞台を演ったこと、観れたことがとても嬉しい。短編を堪能できたのも良かった。

このくらいのサイズのものを、オンラインでどしどし観たい。1500円60分の作品のために電車で移動して、慣れない街で飯を食って、という手間が厭さに敬遠したことは多々ある。

どんなかたちでも出会うことが肝心。ナマでなくとも、触れなくては。