大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

アンチロマンの反対なのだ

ごあいさつ

 

去年・一昨年と大人数の芝居をたくさんやったので、「一人でどこまでやれるか」試すため、一人芝居をやろうと考えたのが昨年末。それからあれよあれよとコロナが広まって、世の中がすっかり様変わりし、この企画も大きく変わりました。本当なら作家が次々とフィクションを生み出していき、どんどん新しい幻想が生まれていく……そんな話を書く予定でしたが、コロナを受けて私は一切フィクションが書けなくなり、「アンチフィクション」を書く運びとなりました。これも何かの巡り合わせだと思います。

この話には、フィクションはありません。起こること、起こったことはすべて本当です。最後までごゆっくりお楽しみ下さい。

谷賢一の一人芝居『アンチフィクション』行く。DULL-COLORED POP(ダルカラ)第22回本公演。

ここでの「アンチ」は「虚構」に対するものでなく、「物語」れないということだろう。太宰治の朗読・配信や、劇中への西村賢太への言及。「谷賢一」なる語り手の操作がつよく意識されていた。それは当然「私」の恥をさらすことにもなる。

一人芝居のまま終わらない構成、演出も良かった。そして終盤に引用をかさねる。中原中也「春の日の夕暮」や、ユニコーン。「人を追いかけるユニコーン」は13世紀ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』のようだけれど、仏教にも「黒白二鼠」という類話がある。

いまのことばがうすれていく。事態は、かんたんに語れることでないから。知識を再検討するなかで、「無意識」に触れようとする。ワークショップに近い。真摯な舞台だった。

 

2020年に入ってすぐ、谷賢一は佐藤隆太の一人芝居『エブリ・ブリリアント・シング』を演出した。その評判は非常に良いものだったけれども、その高知公演が中止になるような社会の変容である。「福島三部作」のときと同様に、谷賢一は社会的感性のするどさでもって『アンチフィクション』を立ちあげた。