大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「俺は今泣いてるぞ、とか、笑ってるぞ、とかいうのが芝居だと思う」  横内謙介

舞台の神に愛される男たち

関容子によるインタビュー『舞台の神に愛される男たち』(2012)。連載は月刊「浄土」。

目当ては横内謙介だったが、白井晃も載っていた。

でてくるのは柄本明笹野高史、すまけい、平幹二朗山崎努加藤武笈田ヨシ加藤健一、坂東三津五郎白井晃奥田瑛二山田太一横内謙介。──5年、10年経って効いてくる確かな人選。

 

「唐(十郎)さんの頭の中ってどうなってんのかわかんないですけど、ときどきある種の言葉が詩になってこっちに突き刺さってくることがあるんですよね。すると、泣けちゃうんですよ。出てくる人物とか、彼らが何を言いたいのかはよくわかんなくても、不意に泣けてくる」と柄本明

柄本が東京乾電池を結成したのには理由がある。「自由劇場って、やっぱり都市的でスマートで洗練されてるんですね。(……)もう少し泥くさい笑いに、あこがれたんですよね」

「あのころ、すごいのを見たな、と思ったのが(佐藤)B作と西田(敏行)さんです。そう言えば二人とも福島出身ですよ。西やんは青年座の研究生の公演か何かで初めて見たんですか、そしたら完全に子供の中に大人がいましたね。あっと思いました。いい意味で人間の欲みたいなのがギラギラしてて、この人はすぐ上に行くだろうと思ったら、すぐそうなりましたから」

 

役者は、演じるばしょをえらぶことができる。海外に渡ったり、ジャンルを横断したり。それが、甚だしいのは笈田ヨシ

「僕は四、五歳のころ忍術使いになりたかったんです(笑)。エノケン榎本健一)の『猿飛佐助』という映画があって、大きなシャモジみたいなものを持って、呪文を唱えると音楽が鳴って、マグネシウムがポンとたかれて白い煙が出て、エノケンの姿が消えるんです。僕があんまり興奮して喜ぶものだから、母親が黒い風呂敷の両脇を縫って袋を作ってくれて、この中へ入りなさい、って。あら、ヨシオ、どこ行ったの? ヨシオ! それでパッと出ると、あ、そこにいたの、って。僕も本当に消えてるとは思わなかったけど、この遊びが気に入って、一人で嬉しがってました」

「物ごころついて僕が最初にやりたかったことは消えることだったのに、それがどうして姿を見せる役者になったのか、考えてみたことがあります。すると役者も、本当は舞台で自分を消さなきゃいけないんだ、ということに気づいたんです」

 

山崎努は、映像に進んだ。

「演劇は本質的に言って俳優のものだと思うんです。でも近ごろは演出家の存在が大きくなって、一人の感性で同じ一つの感性を作ろうとする。生身の俳優たちのそれぞれ演じることが収拾がつかなくなる。それが面白いのに、一人で収拾をつけて、口当りをよくして、お客さんの観方まで決めてしまう」

今、僕は映像のほうに興味がある。信頼できる魅力的な判断をする監督に、自分の演技を差し出して、全面的に託すわけです。僕が面白いと思ってしたことがその作品に必要でなかったり、またその反対だったりして取捨選択される。

「映画俳優はいい監督、肌の合う演出家に出会うか出会わないかで、幸不幸が決まるんです」

 

白井晃(現、KAAT 神奈川芸術劇場芸術監督)の、遊◎機械/全自動シアター時代。息の合った劇団のようにおもっていたが、永続することはむずかしいようなのだ。

主演女優、高泉淳子との関係も変わっていった。

「彼女のやりたいことを僕が受け皿のようにバックアップしているだけの気がしてきて、フラストレーションがゆっくりとたまっていったんですね。(……)彼女に本格的に戯曲を書くことをすすめたのも僕だし、書いた物を評価して舞台に乗せたのも僕ですけど、僕が彼女の一番いい作品だと思う『こわれた玩具』を巡っての論争がやがて僕たちを大きく引き離すことになるんです」

「学生時代から最も刺激を受けて、一番影響を受けた高泉淳子を、僕は自分から切り離した」

 

横内謙介は、高校時代に出会った岡森諦、六角精児といまも舞台の仕事ができる。

「彼らにとってはもっと別の人生があったかも知れません。でも、演劇によって味わう自由と解放感は、劇薬よりも効き目がすごい。人間が自らの精神を押し殺して、何も思わずに、何ごとも起らない平凡な人生を送るとしたら、こんな地獄はないと思う。一生、寝た子でいるよりも、目覚めて苦労したほうが幸せだと思うんです」