大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

ある君主論

愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸―横内謙介戯曲集

『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』観る。扉座「10knocks その扉を叩き続けろ」の第8夜。初演は、1991年。

横内謙介がこの戯曲を執筆しているとき、世界は湾岸戦争だった。今回のプログラムには中東へ単身乗りこんだアントニオ猪木議員のこと、公演前の挨拶では『オールナイトフジ』放送中の速報について触れている。横内謙介は参加していないが「湾岸戦争に反対する文学者声明」なんてものもあった。

イラククウェート侵攻が平成2年(1990)、多国籍軍によるイラク空爆は明くる平成3年(1991)である。改元をはさんで、ながい自粛がつづいていたのだ。

 

病室からはじまる『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』。ト書きには「ベッドには人が寝ているらしい。毛布の下から頭と足が見えている」──この「頭」と「足」は異なる人物なのだった。頭が王様。足は道化。

横内謙介の舞台は視覚的なおどろきが多いのも好い。

キャストは岡森諦(王様)、有馬自由(道化)、菊池均也(従者)、累央(亭主)、江原由夏(女房)、林田尚親(旅芸人)、野田翔太(息子)、北村由海(娘)、七味まゆ味(中川恭子)、砂田桃子(看護人/ト書き)。

二十代で書き、二十代が演っただろう作品も、五十代による再演でぐっと奥行がでる。

役者の力を堪能した。いつまでも洒落者の有馬自由は、軽さも重さも自在だった。

岡森諦は油断のならないおじさんであり、でたらめと深刻を行き来する。

菊池均也は上手い。累央はサイコパスである。

そして林田尚親。ナレーターとして知っていたが、舞台俳優として、このようになまなましかったとは。

林田尚親の役は旅芸人。

旅芸人 あの頃はどこの町に行っても、私が芸を始めたら周りは黒山の人だかりになったもんだ……それがここ何年か、どうもいけなくてね……その、つまりお客がとんとつかなくなっちまって……(中略)

もうこの国じゃ、新しかろうが古かろうが、どの道、芸なんてものは滅びるしか道はねえんだ……(中略)

この国がこんなことになっちまったのには、ちゃんと理由があるんです。そいつは……

従者 そいつは?

旅芸人 十年前の、裸の王様の行進ですよ。

旅芸人の円熟した、渾身のパントマイム。リーディング公演といいつつその技を観ることができた。しかしその価値は「王様は裸だ!」と子供が叫んだときにうしなわれていた。

 

幾人もの失墜が描かれ、しかも何度も息を吹きかえす。出口がないのか、救いがないのか。感傷一辺倒でない、奇怪な語りようだ。

王様の愛読書は『ドン・キホーテ』。このつなげかたが恐い。そして話はどんどん転がる。