大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「これより千六百年の休憩に入ります」

作・しりあがり寿、演出・天野天街。芸術監督に流山児祥。『ヒ me 呼』観る。

器のおおきい流山児祥と、器のおおきいしりあがり寿と、器のおおきい天野天街と。想像以上にファンタジーで、リアルで、古代で、現代だった。

物語のはじまりは現代の温泉場。そこからひと息に卑弥呼の時代へと飛び、さてこの額縁は、枠物語はどうもどってくるのかというやや退屈なサスペンスもかなり意外な結末を迎えるから凄い。

現代風俗を反映したコトバの使いどころが巧いのは、しりあがり寿。サスティナブルとかマリトッツォの用いかたなど、話が進むにつれてドライブしていくセンスは流石。

 

冒頭の温泉旅館。男(甲津拓平)と女(山丸莉菜)の演技に流山児★事務所をかんじた。どの劇団にもある「らしさ」によって引きこまれる。

宿の女将、そして卑弥呼には山像かおり卑弥呼が治める三つの部族は火(ヒ)、水(ミ)、木(コ)。部族間の対立もあり、まだ自由な恋愛がなかった頃。卑弥呼の死によって顕在化する恋の病い。他部族はもちろん性別もさまざまで、同性愛をあつかって変に力まないのはしりあがり寿の書きかたと、天野天街の演出による。

それは疫病、流行り病いの可能性ありとなるが、おもしろいのは登場人物皆が岩屋のなかに閉じこめられてしまうところ。閉鎖された空間で劇をつくって上手い。内面の閉塞感をきちんと説明できる。

三度笠をかぶったデモクラシイタケ。幻覚。楽屋ネタ。劇中劇。

反復や同ポジといった少年王者舘の天野演出を、流山児★事務所の俳優たちがメリハリをつけて。