大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「ここはリーザ。チェルノブイリとおなじくらい退屈なところだ」

相撲取りブルーノ

2000年の映画『相撲取りブルーノ』(Sumo Bruno)。前年にドイツのリーザで開催された第8回世界相撲選手権大会の熱がさめないうちにつくられた物語。

主人公のブルーノは失業中の内気な巨漢。ジョン・ベルーシよりもMr. ビーンに似た印象。

朝から泡風呂に浸かる30歳の誕生日、やってきたのは執行官のクルトだ。ブルーノには借金がある。いずれは電気も止められる。

そんな誕生日の夜、友人カレに連れられてしぶしぶ行ったクラブでヒロインのアナと出逢った。クラブのイベントとして相撲もここで経験した。

アナは、クラブやスポーツジムを仕切るラッキーと暮らしている。ラッキーはマッチョで横暴。アナの連れ子の、ティムにも愛情を注がない。ダンサーを夢みるアナに「おまえは三流だ。おれのおかげで生きていられる」と言ったりもする……。

登場人物たちがリアルで、観ていると反省を強いられる。カレには山師みたいなところがある。相撲をおしえる明石は理念が先行する。

ブルーノに「苦しみの海を泳ぐことになるぞ。相撲取りのように考え、相撲取りのように呼吸し、相撲取りのように眠り、相撲取りのように生きるんだ。おまえには戦士の魂があるか? 侍の魂が?」と。

皆が弱点だらけであるし、町の笑い者になっているとブルーノはかんがえている。ブルーのには野心や妄想が足りない。だから成長譚としては一進一退。恋は成就するのか、さいごに優勝するかどうかも、観ていると不安になる。こちらがかってにサスペンスをかんじてしまう絶妙なキャスティングだった。ブルーノよりもおおきな選手が登場するのも凄い。

『ロッキー』の看板がでてくる。ブルーノは比較もされる。それはブルーノ本位のものでない。一方アナはあこがれのフレッド・アステアを引用し、挿話を披露する。

行動力の差を上手に描き分けていた。