大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「もしこのまま漂流したらどうすんだよ。漂流教室みたいにさ。一番漂流してほしくねーよ、この教室」

扉座『ホテルカルフォルニア ―私戯曲 県立厚木高校物語―』観る。一夜だけの特別公演『山椒魚だぞ!』付き。

客入れから賑やかで、かつての劇場の期待とざわめき。祭りの匂い。豊富な物販を、ベテラン俳優たちが売っている。公演前の場内を売り歩く姿も。

去年のリーディング公演もサービス精神のカタマリだったけれど、それとはべつの復興をみせる紀伊国屋ホール。

舞台が、高校の文化祭ということもある。

はっきしいって、みんな、つまんねえ学校だと思ってたと思うんだよね。受験のための学校だし。それぞれ、ずっと遠くに目標があって、途中駅みたいなもんだかンね、ここは。でも、途中駅かもしんないけどよ、俺らはここで出会って、こうやって知り合えたじゃん。

横内謙介の手になる物語だから甘いまま済むはずもなく、世界の普遍的な無情や、学生時代の他人への強烈な残酷さを見ることになる。わすれていた。目上のひとを陥れて勝ち誇るようないやらしさ。教員をいじめる生徒たち。進学校の、対立することのない多様性。

それぞれに、泳ぎかたを覚えていく。学校とはちがう世界をみつける。劇場。ディスコ。そこで見たもの得たものを文化祭に持ちこむわけだ。

雑駁なリアル。それを信じさせるのは「扉座四十年生」の岡森諦、六角精児ら。生きのこった。東大に合格した奴もいた。自殺した奴もいた。ここでは舞台の魔法にかかって還暦が高校生を演じている。

 

山椒魚だぞ!』。これは横内謙介のさいしょの戯曲。高校演劇のコンクールで勝ち上がった作品。装置、演出も高校っぽく、ストロボの多用が初々しい。

話は『私戯曲 県立厚木高校物語』と似ているもののやはり若く、受験に奪われてしまいそうな青春の一回性を、一人称で叫んでいた。

それでも若手を紀伊國屋ホールに上げる機会になるし、初心な観客に見較べてもらうこともできる。潔い。