大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

熱烈に愛される。期待される。自由の可能性。しかし、

フィスコットーネ『加担者』観る。プロデューサー・綿貫凛、演出は稲葉賀恵。

作、フリードリヒ・デュレンマット(翻訳、増本浩子)。

デュレンマットには2021年9月の『物理学者たち』(ワタナベエンターテインメント主催。本多劇場)、2022年6月の『貴婦人の来訪』(新国立劇場)と触れてきた。演出家や俳優の名で舞台を観に行くことも多いが、そのモトとなる戯曲がリアリズムにして荒唐無稽だと衝撃も大きい。

アンダーグラウンドに始末された人間を、化学的に溶解する仕事。『加担者』が書かれた1973年は第二次世界大戦のグロテスクな部分を語れるようになった頃でもあろう。この仕事にドク(小須田康人)が就いたのは、タクシー運転手として暗黒街のボス(外山誠二)を乗せたことから。発案し、じぶんにはそれができると売りこんだのだ。

ドクは企業の研究職だった。それが不況でかんたんに解雇されてしまった。「都市の残りカス」、「使われることのない知の貯蔵庫」、「インテリの肉体労働者」と自嘲するドク。妻子とも別れた。感情よりは数字で動く計算高い男だったはずが、人間溶解の仕事をはじめて、どこかシンプルに、ウブにもなって、ひとを恋して生の出口を見うしなう。

物語における恋は、当然《英雄》の条件だ。《劇》としての英雄はすべてを喪失しなければならない……。

 

演出にも題材にもフィルム・ノワールのようなところがある。ドクと恋に落ちるアン(月船さらら)。人間溶解業に入りこんでくる白か黒かわからぬ刑事コップ(山本亨)。ドクの息子で、母の再婚により企業社長の座を相続することになったビル(三津谷亮)。

時間の扱いも演劇としては大胆で、物語のさいごに死体として運ばれてくるビルとジャック(大原康裕)が、舞台中盤で《死者》として顛末を語ったりする。

キャストはほかに内田健介、伊藤公一、喜田裕也。

大統領暗殺や国葬についても語られる。帝国主義的な《神話》とカネ。

ドクは、ボスともビルともちがって政治的な物語をもたない。そのせいもあって英雄的な判断をしそこねる。現代社会で英雄である必要もないけれど、ではなにを手本として生き延びようか。

2時間15分。休憩なし。