N.S.カールソン作、J.アルエゴとA.デューイ絵、『マリールイズ いえでする』。
マリールイズは、ちゃいろのマングースの おんなの子です。
さとうきびばたけのなかにある ちいさな かやぶきのうちに、
かあさんといっしょに すんでいます。
マリールイズは、いつもは よい子です。
でも、ある日、わるい子になりました。
絵本にある、スタートの早さが良い。〈マリールイズは、ちゃいろのマングースの おんなの子です〉だけで泣けてしまう。これは外からの客観描写なのだけれども、それでいてマリールイズの自負や不満がみえてくる。そして当然、〈ある日、わるい子になりました〉。
いたずらをして、怒られて、「かあさんは、もう あたしのこと、きらいでしょ」とかんがえる。
「きっと、おなかがすきますよ。サンドウィッチをつくるから、もっていったら?」と、かあさんはのんびりかまえている。子の冒険をどこまで見守るか、リアルにさまざまなケースをおもえばむずかしい問題でもある。
マリールイズは、いろんな生きものの家をたずねる。どこか、じぶんに合った新しいおうちがあるのでは。
子どもには、飛びでていく自由がある。それは、永遠とは相性のわるいもの。飛びたい、とおもうのは着地したいということでもある。マリールイズは〈さとうきびばたけのなかにある ちいさな かやぶきのうち〉に帰るだろう。そういう自由もある。それはそれでじゅうぶんに泣ける。