大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

ひとつの場所の行間、余白。

『ショウ・マスト・ゴー・オン』。初演は1991年。脚本・演出、三谷幸喜

代演がつづき、公演中止の日もでた令和版。配信も一度は中止になってからの、追加公演と、配信。

ワン・シチュエーションのコメディ。舞台となるのは「舞台の現場」。といって舞台上でなく、稽古場でもなく。「本番中の舞台袖」である。このアイデアによって、今作は独創的な古典たりえているわけだ。

そこに小ネタを散りばめて、丁寧に回収していく。複雑な展開は必要ない。

人物の性格や関係もはっきりしている。それで俳優は演技の甲斐があるし、代演でニュアンスが変わってきたりもする。

 

鈴木京香が演じる予定だったのはドライというか昔気質の舞台監督。厳しくはあるが抑制的で、けっして私情をもちこんだりしない。と、観ていると若いダンサーの恋人がいるらしく、次回作の小道具として編んでいるかとおもわれた赤いマフラーは彼のためだったとか、カネを無心されているとかのプライベートな部分がぽろぽろでてくる。これを三谷幸喜が代演した。

台本がしっかりしているぶん、ゲイの恋愛も強度をもつ。マフラーだって、三谷幸喜が編んでいれば仕事なんだな、なるほど次作の小道具なのかと納得してしまう(鈴木京香だったら「実は、恋人のために編んでいる」という匂いをさせたことだろう)。

配信回(と、千穐楽)における舞台監督はゲイであり、二股や恋愛の萌芽や友愛が凄い。三谷幸喜作品のホモソーシャルは90年代的で、やおい、BLを許容するようなところがある。

マクベスマクベス夫人兼マクダフという無茶苦茶な主演俳優(たびたび自信喪失する。酒に弱い)を演じる尾上松也を抱きしめて励ます。さいご、恋のけはいが生まれるのは、三谷幸喜がダンサーの小澤雄太に逃げられるからで、その行き先も若い女というのが妙にリアル。それも身内だ。新人の裏方(秋元才加)。

ゲイの舞監によく馴れた中堅スタッフにウエンツ瑛士。旧知の仲の道具方は新納慎也。この辺りのBLも想像力次第だろう。ウエンツと三谷は大いにある。

警備員、そして医者役で浅野和之。舞監の叱責(パワハラ?)で来なくなってしまった若手の父親を演じたのは小林隆。息子の代わりに働かせてくれというショウ・マスト・ゴー・オン具合も可笑しいが、なにしろ好演だった。

マクベス夫人役を降ろされて門番というシルビア・グラブの印象は鮮やか。役がなくなった男に大野泰広。皆に差し入れを配りまくる峯村リエ。舞台が専門ではないのに演出家ダニエル(秋葉原に行って迷子)への報告書を作成すると力む通訳は、井上小百合

社長、中島亜梨沙。ピアノ、荻野清子。原作者役に今井朋彦。チラシの電話番号が間違っていたせいで迷惑を被ったという男に、藤本隆宏