大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

〈水に流すも江戸育ち〉

黄金街道 (講談社文庫)

大きい呉服店はデパートになり、そのうち駐車場が不可欠のものとなった。都電のチンチン電車が姿を消し、歩行者天国が案出され、日本橋界隈はますます美々しい商店街となった。

安野光雅『黄金街道』。
巻頭、古今亭志ん生の「黄金餅」が収められ、安野光雅のエッセイは「上野駅付近」「江戸の長屋」「アメ屋横丁」「湯島の白梅」「万世橋」「ニコライ堂」「須田町交差点」「神田駅付近」「今川橋」「室町」「三越前」「日本橋」「白木屋」「丸善高島屋」「八重洲口」「京橋」「銀座四丁目」「数寄屋橋」「汐留駅」「新橋駅」「内幸町」「土橋」「外堀通り新し橋」「新橋四丁目」「西新橋一丁目」「愛宕山」「西久保巴町」「増上寺門前」「オランダ大使館」「飯倉交差点」「飯倉片町」「永坂」「麻布十番」「一本松」「下谷の山崎町」「絶江坂」とつづいてどうも落語どおりの道行きらしいと目次からわくわくする。
移動の快楽、功徳をかんじるせいだろう。地理的な高揚。7 MEN 侍のユーチューブ企画「徒歩で坂道を探せ」にもおんなじおもしろさがあった。
『黄金街道』は丁寧な下調べ、蘊蓄、文体模写にも及んでマメで、もちろん各話に安野光雅の絵が置かれる。雑学系読み物にありがちな失速はない。どこまでもみっしりとして、ガイドブックの趣もある。

「湯島の白梅」では森鷗外『雁』、泉鏡花婦系図』の話がでてくる。この古典的な(世代的な)文芸の好みが安野光雅で、嬉しい。

「須田町交差点」では友人にして編集者、詩人の村松武司のことが語られる。村松は〈日韓問題と、ライ文学という近より難い問題にのめりこんでいった〉。

それは、無論ボランティアではない、民族的贖罪という意識を越えた、それは故郷へ回帰する人間の業(ごう)かと私には見える。

 

「私」に引き寄せて書かれた箇所は洞察すぐれて、おもしろい。

かけだしの私が、はじめて鳥海青児の春の「段々畠」を見てうなっていた頃、彼が五十歳で、飯倉片町にいたとは知らなかった。三十二番地だというから、前号にかいた梶井基次郎の家と同じ場所である。

鳥海夫人の、美川きよのかいた『夜のノートルダム』(中央公論社)によると、苦境のどん底、最悪の時期だったという。あちこちと借金してまわる話がかかれているが、御二人とも根が明るいために、苦しい事がかえって新しい世界を拓(ひら)いて行ったように読みとれる。

 

多少より道はしたが、ともかく私は三年かかって終点まできた。噺では一晩かかって着くことになっているが、黄金餅の落語そのものの長さは約四十分である。その中の道順読み上げの部分だけをとり出せば、一分もかからない。

現在の地図で、その道順を測ってみたら、一万メートル強である。私はもっと遠いかと思っていた。