大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「森から出てこなかった男」のまえに

森の聖者 自然保護の父ジョン・ミューア (ヤマケイ文庫) 『森の聖者 自然保護の父ジョン・ミューア (ヤマケイ文庫)』のあとがきで加藤則芳はジョン・ミューア片岡義男のことを書いている。
〈ジョン・ミューアは、ヨセミテ渓谷に五年にわたって住みつき、広大なシエラネバダの山々をくまなく放浪した男である。私がジョン・ミューアに興味を持った出発点は、ここだった。文明からドロップアウトして、山にこもってしまった男を、一種憧れの気持ちもあって、私はずっと気にかけていた。二十年ほど前のことである。
それからほどなくして、片岡義男さんが「森から出てこなかった男」(角川文庫『スターダストハイウエー』に収録)という物語を書いた。当時、私は彼の担当編集者だった。シエラネバダにこもってしまった男の物語である。この物語の背景に、一〇〇年前、シエラネバダにとりつかれた男の話が描かれていた。片岡さんに確認することもなく、私は、この一〇〇年前の男をジョン・ミューアに決めてしまっていた〉
ロングトレイルを歩く 〈大学卒業後、ぼくは出版社の角川書店に入社した。
社会科学の本に携わりたいという希望はあったが、ちょうど創刊して間もない文芸総合誌の『野生時代』に呼ばれ、それから七年間、編集の仕事に携わった。当時は、文芸出版が全盛の時代で、そのなかでも角川書店は特に、文庫新時代の先駆けとなるさまざまな戦略を展開していて勢いがあった。
ぼくは松本清張瀬戸内寂聴田辺聖子片岡義男C・W・ニコル畑正憲といった作家や著者などを多数担当し、日夜奔走する日々だった〉

「森から出てこなかった男」

森から出てこなかった男
スターダスト・ハイウエイ (角川文庫 緑 371-2) 「片岡義男 全著作電子化計画」というのがあって、一編ずつ買うことができる。おなじ価格だがながいのもみじかいのもある。紙の文庫だと『スターダスト・ハイウエイ (角川文庫 緑 371-2)』に。「森から出てこなかった男」。
SFのような短編だ。現代に生きるロバートはナチュラリストで、しっかりした山荘を建て、ホテルにもなる、ガイドもできる、〈現金というものを使って外部から買いととのえなくてはいけないものが何種類か必ずある〉。
パーティにやってきたなかの子どもたちにロバートは、見えないけれどそこにあるものの話をしてやる。

「きみたちの飲む水だって見えるよ」
「水が? どこに?」
ふたりの男の子は、両側からロバートの頭に顔を寄せた。
「雪の下に地面があり、その地面の下に、水があるのさ」

この山で暮らすために時間をかけた。図書館でみつけた一〇〇年前のシエラ・ネヴァダの文章とのあいだにも時間がながれている。それでいて近い。

シエラ・ネヴァダ大自然の中では、あらゆるものが、かたときも休まずに、生きている。静止しているかに見える巨大な岩山も、じつは何万年という生命を生きているのであり、ふと見た小さな木の枝の下に巣をはっているクモや、草のあいだを飛ぶ一〇セント貨ほどの蝶も、それぞれに命を持っている。谷も山も大樹も、生命のかたまりだ。シエラ・ネヴァダは、無数に近い生命の集合体であり、ロバートの目にとまるどの光景も、地球の生命をのぞきこむ窓なのだ。
どの窓も、すべて、見たい。ロバートは、そう思った。この宇宙の中で、あらゆる生命体が、おたがいにどこかでつながっている。

男の子たちに語りかけるさいごの台詞は「見ること」「伝えること」「次の人」「仲間」といったかたちで未来をえがいてみせる。