大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

星降る夜の自由

新国立劇場演劇研修所 第17期生修了公演「流れゆく時の中に ─テネシー・ウィリアムズ一幕劇─」観る。

初期作品の三本立て。戯曲コンテンストで百ドルを得た一幕劇集『アメリカン・ブルース』から「坊やのお馬」と「踏みにじられたペチュニア事件」。それと「ロング・グッドバイ」。

多分に自伝的な作風だから、おなじモチーフが繰りかえしあらわれる。代表作である『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』『地獄のオルフェウス』といった長編とも通底し、ここでも神経症のけはいのある女性と、理想家でおろかな男性がめぐりあう。

どちらも救いをもとめている。互いに助けようとする。だが、うまくいかない。

十代、二十代で読めば《敗北》という《苦い》現実だけれども、単に《現実》として受けとめていいのかもしれない。そしてその《現実》がテネシー・ウィリアムズらしいロマンティックな希望で形成されてもいる。若さにあふれた一幕劇ではそれを顕著にかんじられた。

楽観的な愛らしさ。おそらく悲劇でないだろう。前途ある俳優たちとその物語を観た。

演出、宮田慶子。ギターの演奏は伏見蛍。

 

 

「坊やのお馬」……ムーニー(田崎奏太)、ジェーン(根岸美利)。

 

「踏みにじられたペチュニア事件」……ドロシイ・シンプル(小林未来)、警官(須藤瑞己(第15期生))、若い男(樋口圭佑)、ダル夫人(二木咲子(第1期生))。

 

ロング・グッドバイ」……ジョー(立川義幸)、マイラ(飯田桃子)、母(二木咲子(第1期生))、シルヴァ(佐々木優樹)、ビル(須藤瑞己(第15期生))、運送屋四人(田崎奏太、樋口圭佑、篁勇哉(第18期生)、横田昴己(第18期生))。

 

 

「坊やのお馬」は、工場での労働を辞めて森で木を伐る仕事に戻りたいムーニーの話。生活は困窮している。それでもじぶんが父にしてもらったように、ムーニーは息子のためにと木馬を買った。息子はまだ赤ん坊だというのに。

妻のジェーンと衝突する。ムーニーが暴力に訴える。ジェーンは家を飛び出してしまう。と、絶望的な幕切れのようだけれど、ゲイのテネシー・ウィリアムズにとってムーニーは魅力ある男性でもあったろう。おそらく男女の諍いは主題でない。ジェーンが家を飛び出るほどの喧嘩は前にも後にもあったと読んでもいいはず。

では何が劇的なのだろう。《一回性》はどこにあったのだろうとかんがえると、ムーニーの決意だったとおもう。

なにかを捨てて、よみがえる。よみがえれば再会することもあるだろう。

 

「踏みにじられたペチュニア事件」もまた、いまの環境を捨てる物語であるものの、おとぎ話の色が濃い。そのぶん幸福と困難のコントラストがはっきりして、小間物の店を切り盛りしてきたドロシイ・シンプルが野生の荒れ地へと向かうラストが少年漫画のようで強烈だった。

店先のペチュニアを踏み荒らした男と対話するうちにドロシイの価値観はまったく反対のものになってしまう。男は魅惑的なトリックスターだ。

 

父も、母も、妹もいなくなってしまった家。「ロング・グッドバイ」。

小説を書いている若いジョーもいよいよこの家を出ることになる。ここに入り浸るイタリア系の青年。やってくる運送屋の男たち。家族との回想場面を挿みながら、明るくも粗野な男の匂いが上書きしていく。