〈夏休みよ さようなら 僕の少年よ さようなら〉
『三上博史 歌劇 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない』観る。
開場してすぐ、トイレと物販に行列ができる。そこへ現れ、徘徊する演劇実験室◉万有引力の俳優たち……。
おおきい劇場だから、ロビーがある。舞台とは異なる光のもと、かの女たちの美粧に並ばれるのは久しぶりで、かつてのなにかがよみがえる。
演奏は横山英規(音楽監督・Bass)、エミ・エレオノーラ(Piano)、近田潔人(Guitar)、ASA-CHAN(Drums)。内蔵震わす大音響が眼球を舞台へと引き寄せた。
三上博史はながくてしろいウィッグに、顔を覆うくろい前髪(これもウィッグ)。人間の裏表、男女の性を併せもつ妖しい逞しさで降臨。三上の魔術的手ぶりによって、照明を吊るしたバトンがするすると上がっていく。このキャストでもありスタッフでもあるという舞台設備との戯れは寺山演劇が孕む《解体》や《滅亡》の予告=種子だろう。
舞台美術は、正面から見た船の断面図のようで堅牢。巨鯨の骨格にもみえる。そこに居る三上博史もまた、堂々たる三上博史で、寺山修司の演目としては2003年『青ひげ公の城』ぶりといっていいだろうけど、そのときも、いまも舞台で主人になれる。演劇実験室◉万有引力の俳優たちをアンサンブルとして従えて、ふてぶてしくも美しい。
寺山の世界に登場するのが「探偵」と「女優」ならば、三上は「女優」を選ぶのだ。
劇場プログラムの巻頭対談で髙田恵篤は語っている。「三上の異様さがいろいろ出た舞台になる。三上と俺は芝居はやったことはないけれど、こんなにパワーがあったのかとびっくりしている」
対談の相手であるJ・A・シーザーは三上について「カット割りの短い映像演技より、演技するというよりは磨き上げるように少々時間をかけた方が魅力を発揮できるんじゃないか」と洞察する。「昔は自分のいろいろなこだわりを垣間見せていたが、それを押さえ込む力を持ったというか、丸くなったのではなく、人間的に大きくなったというよりは人間三上博史に近づいたということでしょう。いい俳優だ」
三上博史のインタビューページでは寺山修司との出遭いの一撃が印象的。「友達に誘われて高校1年生のときにオーディションに行きました。順番を待っていたら、後ろから肩を叩かれ、振り返ったら寺山さんだった。『君の番号はいくつ?』と聞かれたんです。そうして出演は決まりました」と。
『三上博史 歌劇』。序盤はまさにライブであり、寺山修司記念館におけるそれやPARCO劇場『青ひげ公の城』を超えてくる。三上博史のつよさを思い知る。そこから演劇パートへと持ちこむ。万有引力の俳優たちはアンサンブルに徹しながらも楽しそうだった。主役だけが人生ではない。それを肯定的に捉えることが「遊戯」というものかもしれない。
カーテンコールはなかった。拍手に応えたりはしない。物語が綺麗に解体されて屠られたあと、腑抜けた顔で俳優がでてくる必要もないわけだ。
嬉しかったのは、劇場プログラムが俳優たちのプロフィールをきちんとまとめてくれたこと。それによると万有引力の高橋優太は『青ひげ公の城』の稽古場で入団試験を受けて「いきなり脚立を持たされ、その日のうちに、頭も眉毛も剃毛され、別人に…。そして、同作品で見事舞台デビューを飾り…。(中略)再び三上さんと同じ舞台に立てるだなんて、思いもよらず、一気に入団当時の希望に満ち溢れた気持ちが沸き上がっております」。そういう、めいめいのドラマが舞台の血肉となる。
伊野尾理枝1987年入団、木下瑞穂1995年入団といった辺りをきっちり確認できたのも収穫。