大漁、異漁。耀

タイトルは タトゥーのようなもの

「同じ基本構造で、部分をつまんだり引っぱったりして、別の形に練り上げられているだけです。基本的にはすべて同じ形で、祖先の影響を完全にはふるい落としていない」  リチャード・ドーキンス

進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義
「編・訳者あとがき」のエピグラフに、トーマス・ヘンリー・ハックスレーの言葉が二つ。
「何かについてすべてを学び、すべてについて何かを学ぼうとせよ」
「きっぱりと決断して行動し、その結果を引き受けよ。優柔不断は何の良い結果も生まない」
1991年のリチャード・ドーキンスによる子供のための講義、日本語版。訳者の吉成真由美が「刮目すべきは、二〇年あまり前に行なわれたこのレクチャーが、内容的にほとんど手を加える必要がないどころか、かえってますます時代に強く訴えかけるものになっているということ。それはとりもなおさずドーキンスの慧眼、その洞察力を証明する結果となっている」。
進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義』。普遍的な知識や理解。変わることのない共通の法則に到ろうとするのが自然科学であり、そこはすこしも古びていない。それをわかりやすく補足説明するための「情報」はいまではもっと進んでいるけど。深海生物や昆虫の生態。そこは問題じゃない。

今われわれが祖先を振り返ってみたとき、進化というのは確実にクライマックス、すなわちわれわれ人間というものに向かって収斂しているのだというふうに誤解してしまうかもしれないけれど、実際は、そのようになっていません。進化は何万、何百万という異なる方向に向かって、同時に進行しているのです。

読みながら、中学校の生物の時間に「退化は退化ではなくて、退化もまた進化である」と教わったことがあらためてあざやかになる。思春期というのは他人の言葉に対して反抗的なものだけれども、素直に受け容れられた言葉の一つ。《収斂》は、かんたんに差別と廃絶を招くから。
いくつもの立場がある。それをカースト、階層化するのはいやなことだ。


「『不可能な山』を登る方法はただ一つ、傾斜進化のゆっくりとした道のりを一歩一歩踏みしめていくよりほかにないのです」


「個体が登るわけではない。系統、動物群、種、が登るのであり、しかも進化の永い時間軸の中で登るのです」

宇宙で育つということは、単純から複雑へ、非効率から効率の良いほうへ、無脳から大きな脳へと進化していくことを意味します。しかし同時に、ローカルな迷信に満ちた宇宙観から抜け出し、権威や伝統や個人的な啓示ではなく、証拠とオープンな議論とに基づいた、しっかりした科学的な宇宙観というものに移行していくということを意味する。成長するということは、一見説明しているようにみえて実際には何も説明していない「超自然的な解説」というものに逃げてしまわずに、実際宇宙がどのようになっているかを知ろうと地道に努力を積み重ねていくことを意味するのです。