語られぬところにも欲望はある
老女が、煙草を吸う。だれにもたよらぬ気むずかしさをみるようで、出だしからかなしい。それでもここまで生きてきたのだ、というところに救いもある。
スウェーデン映画『サーミの血』(2016)。十代のときの家出と、恋。
観光客相手の職業性や、文化人類学の研究対象となっていることなど、少数民族としての差別の問題は、1930年代すでにかんたんなものではない。
生得の属性を守っても、捨てても重さと苦さがある。それをわからないであいてを愚弄すれば悔恨の種となるだろう。エレ・マリャは自由や美しさにあこがれて教師クリスティーナの名を借り、サーミ人であることを止めたが、さらなる差別に加担したとか悪だったとはおもえない。サーミの世界にとどまった妹をばかにしたことで、それぞれに傷をつくってしまった。そういうふうに観た。
えがかれるのは十代の季節。青春映画だろう。うがった見方をすればクリスティーナと名のる老女エレ・マリャが「教師をしていた」と言うのも嘘かもしれない。しかし生きた。そのことを讃えなければ生はすべて報われない。
監督、アマンダ・シェーネル。