写真・操上和美、文・新井敏記。八代目 市川染五郎『儚』。
舞台に立つと、自分の声がよくわかります。
声変わりは辛かった。
父からは、「自分も他の役者さんも
通ってきた道、病気ではないので
安心して演(や)りなさい」と言われました。
ものごころついてからいままでの、ありようというか、ずっとずっとあるいていった先にある《夢》をたっぷり詰めたタイムカプセル本。小学生のときにつくった木箱あり、妹やぬいぐるみと演る台本あり、妹や父からの手紙あり……。
八代目 市川染五郎の身になって読むことができる。不意に染五郎の写真が現れて「ああこれは他人の生だった」と景色が一変し、新たな気持ちで辺りと向き合うことができる。
興福寺の阿修羅像とならぶ松本金太郎(当時)のスナップ写真には澄んだ美しさ。
しかし、綺麗な面貌であるとかすらりと手足が長いといったこと、あまり歌舞伎に関係なく、『勧進帳』で義経を演ったとき「腰の位置が高いせいで、座るぐらいに腰を落とさないと所作がきれいに見えません」と反省の材料にさえなる。
「六代目さんはがっしりとした体型でした。昔の日本人は手足が短い。その時代に日本舞踊がつくられたわけですから、それは手足が長い人が演ったら変に見えます。手足が長いのは疎ましいことなのです」
ノンフィクションの定法とはいえ、この齢で厳しく自律していること。だれにもできることではない。